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なるべく毎週月曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。 その内容をテキスト化する再利用式ブログ更新、「一週遅れの映画評」。 今回は『JOKER』です。 ※※※※※※※※※※※※※※ その日は役所で生活困窮者自立支援法に基づく住居確保給付金を申請したあと、失業保険を給付されるための説明会に出た。そのままその足で映画館に向かい身体障害者手帳を手に、障害者割引を利用して『JOKER』の見た。 異常なほどに全てが脈絡で繋がっている日。 90年代の鬼畜スカムカルチャーを愛する私―障害によって解雇された私―無職で将来の見えない私……それらの多面的な「私」の日々が一列に繋がってまるで「最初からそうであった形」になっているかのようだった。 だから噂に聞いていた『JOKER』を見るのは楽しみだった。きっと私は「自分はジョーカーだ!」と高らかに笑い、叫び、手にしたマシンガンを乱射し死屍累々の山を築くのだろう。そういったヴィランに変身できるかもしれないと、そんな子供じみた(だがそれだけに甘美な)妄想にビデオカメラの被り物をしたダンサーが羽交い絞めにされるいつもの映像を見ながら、浸っていた。 だが『JOKER』の上映が終わり明るくなっていくシアターの椅子に座ったまま、私は一つのエピソードを思い出していた。それは伊集院光がラジオでも喋り、著書の中でも語った立川談志との会話だ。 ”2年ほど前になるか、自分の担当している夜のラジオ番組に立川談志家元をおよびした時のこと。 もともと古典落語の道をドロップアウトして今の世界に逃げこんできた僕としては、談志家元は特別な存在で、何より6年間の修行時代にピリオドを打った理由の一つが「名人立川談志」の落語だった。 仕事疲れか、それが素の状態なのか不機嫌そうにスタジオいりした家元。僕は「機嫌をそこねないうちに」とばかりにその話をした。 「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらしくして落語を辞めました」 黙って聴いていた家元が一言。 「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」 僕はうまいことをいうつもりなんてなかった。ヨイショをするつもりもない。にもかかわらず、「気難しいゲストを持ち上げてご機嫌を取るための作り話」だと思われている。あわてて「本当です!」と言い返したが「そんなことは百も承知」という風に家元から出た言葉が凄かった。 「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的にきづいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」” (伊集院光『のはなし』「好きな理由」の話 より) (画像クリックでAmazonに飛びます) 『JOKER』でジョーカーへと変身するアーサーには次々に不幸が襲い掛かる。仕事は解雇され、福祉で受けていたカウンセリングと薬の処方は停止、母の異常、幼いころの虐待、尊敬していた人物には馬鹿にされる……そういったどうしようもないトラブルによって、ついにアーサーはヴィランとして覚醒する。 その姿に私は高揚を覚えた。 「そうだ!社会はクソで、貧困に殺される!救いは無い!全部ブッ潰してブッ殺してブッ壊してくれ!何もかも滅茶苦茶になればいい!ジョーカー、お前の高笑いは私たちの凱歌であり、そして鎮魂歌なんだ!」 だが果たしてそれは本当だろうか? ジョーカーの口から語られるオリジンは、全て嘘の誕生秘話だ。全てを笑うジョーカーというヴィランは、自分の生まれた経緯さえ(それは悲惨だったり陰惨だったり、あるいはひどく間抜けだったりする笑えない内容ではあるものの)ジョークに変える。 それならこの『JOKER』が語るジョーカーのオリジンは本当か?嘘か? アーサーは妄想に悩まされている。エレベーターで乗り合わせただけの女性と恋人になっている映像は、全て彼の脳内で生まれただけのものだ。自分のネタがウケてるのではなく、その病気からくる笑いがバカにされてるだけだというのが思い込みでないとなぜ言える?本当に母が狂っていたのか、それとも金と権力を持つトーマスによって事実は捻じ曲げられたのか……。 この物語を見て「私もジョーカーだ!」とは思わない。彼を待望し、彼に心酔し、彼が好きだとしても私はジョーカーになれない。良くてジョーカーに恋してヴィランになったハーレイ・クイン、順当にいけば暴徒の一人、一歩間違えればどさくさの中で頭をカチ割られて地面に転がる死体。 そしてそれさえも嘘か本当かわからない『JOKER』の物語に感化された結果である。 ジョーカーはとんでもない悪だ。だがそれはこんな理由がある、こんな不幸がある、こんな「どうしようもなさ」に翻弄された結果だと『JOKER』は告げる。それは近い状況にある人々を焚きつけると同時に、一つの安心を与える。 「その理由が無ければ、その不幸から救えれば、そんな「どうしようもなさ」を失くせば、悪は生まれないジョーカーは誕生しない」 作中で金持ちたちがチャップリンの映画を見て笑うシーンがある。弱者を描き社会風刺したチャップリンの姿と、それを見て笑う金持ち。理由があってヴィランとなったアーサーの姿と、それを見て安心する(あるいは共感する)私たち。 私たちはジョーカーの誕生に恐怖し戦慄し高揚すると同時に「安心」しているのだ。 理由があるから悪に走る。 それは「理由さえあれば悪に走ってもいい」という免罪符であり、同時に「理由がなければ悪には走らない」という秩序と善(あるいは優しさと愛)への信頼だ。 この『JOKER』というオリジンを語るジョーカーは、そんな「理由」にしがみつき、「理由」を与えられればそれを疑わない私たちを笑っているのだ。 ”『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな” アーサーの不幸にジョーカーとなった理屈がつくのなら、私たちが安心できる。 でもジョーカーになるのに『理屈なんざねェ』としたら? しかし同時にそんな疑問は「ジョーカー」の誕生によって押し流される。本当のことがどうであれ今ここに稀代のスーパーヴィランである「ジョーカー」は目を覚ましたのだ。 それはこの『JOKER』自体も同じことだ。この物語の真偽を明らかにしたところで『JOKER』が今ここにあることとは何の関係も無い。ただ私たちは一人の男の悲惨な人生を目にし、彼がジョーカーへと変身するところを見届け、喝采する。例えそれがジョーカーの笑えないジョークだとしてもだ。 そしてこの『JOKER』はジョークであると同時に、ジョーカーからバットマンに宛てた「ラブレター」でもある。スーパーヒーローとしてゴッサムの街を守るために戦うバットマンの敵は多い、ともすれば『バットマン』を代表するジョーカーですら「数多くのヴィランの一人」に埋没しかけるくらいには。そうでなくともバットマンの目的は街の治安であり、相手が誰であろうとその振る舞いは本質的に変わらない。 だからこそ『JOKER』はバットマンにこう告げる。 「ジョーカーを生んだのはお前の父、トーマス・ウェインだ。そしてお前の父が死んだのは、ジョーカーのせいだ」と。 父の死を契機とするバットマンのオリジンはジョーカーが居なければ存在しないということであり、その父の犯した罪を贖罪する相手であり、同時に父を殺した憎い相手である。『JOKER』が語るジョーカー誕生の物語は、バットマンに「もっと俺を見ろ!俺とお前は切っても切れない”特別な”関係にあるのだ!」と叫んでいる。それが「ラブレター」でなくて何なのであろうか。 そしてこれほどまでに熱烈なラブレターはそれを盗み見てしまった人(つまり私たちだ)をも強烈に惹きつけてしまう。ジョーカーの叫ぶ愛の言葉に、私は恋に落ちるのか?でもそれは『JOKER』を見たからなのか?『JOKER』が語る真偽の不明なオリジンに感化されたからか?それともジョーカーの狂気に濡れてしまったからか? 人は恋をしたとき、その恋に落ちた理由をいくつも並べる。かっこいい、優しい、誠実、清潔感がある……etc。 でもそこに本当のことは無いのだ「なんとなく好きになった」というだけで『理屈なんざねェ』。 ハーレイ・クインになりたい私は、ジョーカーの誕生と恋に落ちる瞬間を並べることに、何の違和感も持たない。 ※※※※※※※※※※※※※ この話をしたツイキャスはこちらの3分過ぎぐらいからです。
by SpankPunk
| 2019-10-15 07:45
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