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なるべく毎週月曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。 その内容をテキスト化する再利用式ブログ更新、「一週遅れの映画評」。 今回は『記憶にございません!』です。 ※※※※※※※※※※※※※※ 政治を舞台とする喜劇には二つの作用がある。 現実を換骨奪胎し、風刺と毒と苦笑で彩り、人間を戯曲化することで事態の空虚さ間抜けさを炙り出す作用。 わかりずらい関係を整理し、単純化と誇張と幼児化で丸め、出来事を一般化し軟化させ政治色を脱臭する作用。 これらは同じ題材を使用しながらも、結果的にあらわすものが真逆になる。つまり前者は「時事的で尖った」ものに、後者は「普遍的で柔らかな」ものに。 『記憶にございません!』は「全国民から嫌われてる総理」を中心に据えながら、しがらみと裏取引に満ち満ちた政局に飛び交う金をわかりやすく描き、そして記憶を失ったことで「そういったしがらみから離れた」政治家が何をするのか?何ができるのか?という物語だ。 このあらすじを聞けばいまこの日本に住んでいる者ならば「ああ、あの人がモデルね。いまの政治は実際そうだもんなぁ」と(好悪は別として)頭に特定の人物を思い浮かべて考えるだろう。だがしかし、恐らく10年前でも30年前でも50年前でも、あるいは10年後でも30年後でも50年後でも、このあらすじを聞いた人は「ああ、あの人がモデルね。いまの政治は実際そうだもんなぁ」と思うのである。 その時々の現職総理大臣と限定すれば基本的に「ひとり」しか存在せず、いつだって政治家は嫌われ、汚職は取りざたされ、シンプルで率直な答えこそが「最良で最善な政治である」というイメージは、常に世には蔓延している。つまり『記憶にございません!』は先に述べた二つの作用のうち後者の「普遍的で柔らかな」ものを描いた作品である。 それは物語の半分ほどが総理の家族の話――妻との関係を再構築することや、軽蔑されていた息子から尊敬を取り戻すことに費やされることからも見て取れる。結局のところこれは人間性の失調と回復を仕事の好不調に重ね合わせて、それを喜劇というスタイルで飲み込みやすくした「だけ」であり、これまでも作られそしてこれからも作られ続ける至って平凡な作品である。 そういった中で映像的な面白さや、表現の新規性、あるいはいままでと異なるチャレンジも無い本作は正直なところ「見ても見なくてもどっちでもいい」レベルだ。面白くない!と憤る娯楽にすら使えないほど(「怒る」ために映画を見に行く、というのはいまどきありふれた作品の「楽しみ方」だ)凡庸である。 とはいえ、今の日本で政治を語るのに必要なのは政治家などではなく「市井の人々における左右の対立」である。私たちは政治的な何かを語る際に、まず自分がどちら寄りの発言をするか、そしてそれがどう捉えられるかを念頭に置かないわけにはいかない。 そういった意味において『記憶にございません!』は左右どちらにも寄らない、というよりは「どちらかに寄ることすらできないぐらい主張の存在しない」作品だ。いまの世に政局を舞台とする作品を作りながら、ここまで左右から無視されるものを仕上げるのはかなり意図的な行為だ。 それが「見る必要のない作品にすることで、左右対立の無意味さを浮き彫りにする」と解釈するか、「叩かれないように気を使った結果、愚にもつかないものしか作れなかった」と取るかは……「まぁそのぉー」と今どき田中角栄のモノマネで回答を濁すしかないのである。 ※※※※※※※※※※※※※※※ この話をしたツイキャスはこちらの21分過ぎぐらいからです。
by SpankPunk
| 2019-09-24 08:08
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