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デートするのはそれほど嫌いじゃあない というかかなり好きだ。 要するに小規模の祭りであり、ハレの日は生活に対するテンションを乱高下させるという意味において欠かせないものだ。二人いれば(べつに性別が問われる時代でもなし、相手がフィギュアだろうが脳内妹だろうが全てはオールオッケー)開催できる祝祭であり、ごくカジュアルな神事である。 とはいえ、恋愛というものとお別れして久しい(これがどっちから別れを切り出してどっちがフラれかは微妙なところだ。ただ人間には様々な属性があるなかで「恋愛をするのに向いている/向いていない」「恋愛をしないのに向いてる/向いていない」という隣接したものがある。私は幸運にも「恋愛をするのに向いていない&恋愛をしないのに向いている」というシナジー持ちなので非常に快適だ。世の中には「疑心暗鬼と被害妄想だけでしかコミュニケーションが取れないけど、孤独に耐えられず寂しさを埋める自分にとって有効な手段が数パターンしかないうえそれにセックスが不可欠」という「恋愛をするのに向いていない&恋愛をしないのに向いていない」という、なんというかしんどい組み合わせの性質を持つ人もいる。ただそれが当人にとって楽しくないかと言うとそれもまた別問題だ、というのが厄介で面白い部分でもある)わけで、じゃあデートができないかと言うとそうでもない。 自分のやりたいことを推し量ってやって自分をエスコートして自分を楽しませて自分を不機嫌にさせて自分とセックスすればいい、というわけで(記憶に残る良いデートには途中で不機嫌になるという過程が絶対に不可欠だ)まぁ有体に言ってしまえば「デートでやるようなことを一人でやる」というだけの話なのだけどw(重ねて言うようだけど脳内妹でも主観的に複数なら「一人でやる」では無い) 使えるお金からちょっと無理して散財しつつ楽しそうなことをする、といえばただのストレス解消としてよくあることなんだけどそこに「デート」ってスパイスをかけることで嫌らしいサブカル感が増すわけで、結局のところ90年代半ばに感受性のピークをヴィレバンで熟成させた人間としてはサブカル(≠サブカルチャー)感が無いと心底楽しめきれないっていう問題がある。 ついでに言うならバブルの終焉滑り込みで生まれてオギャアと吸った空気に好景気の残滓が大量に混入していて、まだ浮かれてる大人たちを見送った幼少期とトレンディドラマに唾を吐いてた思春期を経過していたせいで「金を使う」「色恋を語る」ことからどうしても逃げられないっていう(デジタルネイテブだとこれが「インターネットを使う」と「不可視のコミュニケーションで語る」になるんだと思う)、実はそれが全部混ざるとアイドル文化に接続されたりするわけで、だから年代的には「アイドルにノるためにはエクスキューズが必要な世代」でもあるわけですよ。 とりあえずはキチンと時間を決めて待ち合わせをして、服も化粧もちょっと気合入れつつ引かれない程度に抜いて、もちろんこの部屋に雪崩れ込むことになっても良いように部屋を片付けておいてから出かける。 あとは美術館行ったり博物館行ったりプラネタリウム見たり本屋オモチャ屋服屋雑貨屋インテリア家具もっかい本屋を巡って見たり聞いたり適度に消費をする。映画を観にいくのは普通なら悪い選択肢では無いのだけど、私は経験上「デートで映画を観にいくとマジで取り返しがつかないレベルのケンカ」になるので(これはもう100%そうなる)別れたい相手以外とは行かないことにしているし、毎週やってるツイキャスで映画の話をしているせいで「デート」ってより「日常」の感覚が強くなりすぎるのが非常に良くない。ハレの日を維持するためには普段はやらないことをすべきだ。つまりユニクロに行くのは構わないが靴下を買ってはいけない。 もちろんデートなのだから食事は重要だ。というかこの世迷言ギリギリ手前の文章はこれを書きたいがために始めているようなものなのだが(いや一人デート自体は本当にやっているし積極的に推奨もしているのは本当だ)、半年前に引っ越した家の徒歩圏内にあるイタリアンのお店が最高の最高の最高で、当然素晴らしいデートの終わりを更に素晴らしく彩るために最高の店に行くのは当然のことだ。徒歩圏内、というミラクルによってお酒が飲めるのも完璧と言っていい……とはいえ私は下戸なので大して飲めない上、ここの料理が本当に最高過ぎて酔っぱらった舌で味わっては料理に悪い!という気持ちが強すぎてグラスワインを1杯いただくのが限界なのだ。ああなんて勿体ない、アルコールにもっと耐性があればお酒と料理の組み合わせで最高の最高の最高&最高になれるところだというのに!といった忸怩たる思いを抱える程には素晴らしいところなのだ。 最初の一回はほんとうにふらりと「家の近くにあるお店に行ってみるか~」程度の気持ちで入ったのだが、というかイタリアンだということすらわからないまま入ったにも関わらず、大衝撃を受け、それからよっぽど良いことがあった日か大事な日にしか行けなくてこの6か月で4回ほど行っただけなのだが、その全部で頼んだものを羅列して克明に書けるほどには全てが良い。 とくに「しらすと青のりのリゾット」。これが人間技の最上レベルなのだ、しらすと青のりがお米と同量くらい使われていて、素材としての米を野菜(穀物)とパスタの中間に位置するものとして扱う使い方が、米を主食とは考えない食文化におけるマテリアルの表明としてあらわれている。その上でチーズの香りが非常に尖っている、最初の一口目は「うっ」と感じるほど強いチーズのアタックに一瞬だが面喰う。だがそれはミスではなく、計算された失敗なのだ。 これだけ大量にしらすと青のりが入っているとかなり強い磯の匂いが立ち上がってくる。これが食べ始めは非常に豊潤な海の香りを感じさせるが中盤から後半にかけて、徐々に磯の強い匂いが鼻についてくる。特に温度が下がってくることで蒸気とともに抜けていった芳香は口内で滞留することとなり、鼻腔を通り抜けていく速度が落ちる。そうなると素晴らしかった磯の香りは一転して「磯臭さ」となって襲い掛かってくる。 そこまで来たときに強いチーズの匂いが意味を持つ。磯臭さをカバーし、合わさったときにベストな香りが立つように調整しているのだ。 最初の一口目がわかりやすくおいしいほうが恐らくは人に勧めやすいだろう、だがそこを捨ててでもトータルでの味わいによって設計された思考と思想と思念と思慮の痕跡が舌を通して伝わってくる。それが「神業」ではなく「人間技の最高レベル」なのは、そこにできること/やれることの取捨選択があり、その結果として作り上げられた一皿に哲学が宿っているからである。これは神の御業による奇跡などではなく、人の知恵を修練によって生まれたものであり、だからこその「人間技の最高レベル」と私は評するのである。 それとは関係あるような無いような話なのだが、私の現在住んでいる地域は比較的海が近く(とはいえ縦に長い島国において「海がわりと近い」に該当する場所はかなり多いが)、海産物が豊富のようである(目利きができるわけではないので「ようである」ぐらいの認識が私の限界だ)。 そういった地域における和食以外の料理人は実際のところかなり悩ましい問題を抱えているのではないだろうか? つまり豊富で新鮮な魚介類が使える一方でそれは日本の生物分布であり、その調理法が本来想定している素材とはいくぶん異なるのではないだろうか?そこの調整における困難さは素人には判断し難く、いったいどれほどの試行錯誤と決意があるのかは正直いってわからない(それは和食でもその調理法が生まれた地域でなければ同じ悩みを抱えているだろう)。そしてその悩みは付けられた値段に左右されないように思える。つまり安く提供するために選べる食材が限られるなかでベターを探す困難さと、コストをかけれるがゆえに膨大な選択肢からベストを見つける難しさに方向性の違いはあっても、その尊さに差はないのである。 私が料理人に(職業でなく家庭における料理を含め)強い尊敬を覚えるのは、こういった部分に起因している。 ……と、こういっためちゃくちゃ気持ち悪い食べログのレビューみたいなものを延々と書けるくらいには素晴らしいし、ああいった文章を書きあげてしまう気持ちはわかる、とてもわかる。 さて食事が終わればあとはセックスする、というのがデートの王道ではあるのだがお酒に弱い人間にしてみれば飲酒後のセックスというのは結構ご遠慮願いたいものなのではないか?と思っている。興奮すれば心拍数と血圧が上がる、このときアルコールに弱い人間に起きるのは「ちょっとマジで動きたくない頭痛」だったりするのだが……これは私だけなのだろうか? ここらへんが一人デートの優れているところである。つまりオナニーしようがしまいが、始めて途中で止めようが、酔いがほぼ冷めるのを待とうが自由なのだ。セックスとは恋人同士において非常に重要なコミュニケーションであるが、コミュニケーションであるかぎり「同意と妥協」の問題が常に付きまとう。「めちゃくちゃしたいのに相手が乗り気じゃない」とか「それほどこっちは盛り上がっていないのに相手の鼻息が荒い」とか、互いの性に対するテンションがガッチリ合うことは中々まれな出来事である(そして珍しく合致したときに限って避妊具が切れてたりするのだ。普段から冷静で落ち着いていてしっかりしたカップルでも、なぜか突然できちゃった結婚したりするのはそういうタイミングで油断が襲ってきた結果なのだろう、と思っている)。 そういった問題無く、自分に対してベストのセックスを選択できるのが一人デートの利点である。 ひとりって、本当に最高だなぁ。
by SpankPunk
| 2019-09-05 21:44
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