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なるべく毎週月曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。 その内容をテキスト化する再利用ブログ更新、「一週遅れの映画評」 今回は『二ノ国』です。 『二ノ国』は、私にとって何というか「悪く言われるのはわかる。わかるけど私はこれを否定できない」って作品だった。すごい微妙な立場にならざるえない。 まず第一に、「映画『二ノ国』はテレビアニメ『スナックワールド』のまぁまぁ良い回ぐらいは面白かった」とは思う。でもそれって「映画としてそれでいいの?」ってことは絶対に言われてしまう良さであって……なぜなら「テレビ放映(無料)で4クールの30分番組」がやっているまぁまぁ良い回と、「映画(通常料金1800円)で90分以上拘束される」が同じくらいの面白さでいいのか!?って聞かれたら……私は普段からひどい出来の映画を見てるところもあって、「んーそのぐらいの感じなら、まぁ良いんじゃないの?」って思うけど、そういう出来に対して「ナメとんのか、金返せ」って言ってしまう人もいると思うし、そうなるのも理解できる部分はある。 だから作品に対して(あるいは映画に対して)のスタンスや受け止め方によって『二ノ国』に対する評価はかなりのふり幅を持って変わってしまう作品ではあるし、それは仕方ないと思う。 その上で、私が一番「んーんー惜しいのよ……」と思うのは、「これがきっとゲームだったら評価は変わっていただろう」ってこと。 レベル5って(日野晃博って、に絞ってもいいかもしれない)ゲーム会社で、ゲームのシナリオがシステムと合わさって力を発揮する、その両輪で作品を作るのが一番得意としている作品の作り方をしている。。 システムのあり様がシナリオによって補強され(こういう事情があるからこういう装備システムなんだ!こういう設定があるからアイテムの共有ができるんだ!とか)、シナリオのちょっと無理ある部分をシステムで誤魔化し(そういった話の進行ができないのは与えられたシステムの限界があるからだ!とか)、プレイヤーが操作するから納得せざるえない部分とか(これはプレイヤーが選んだ選択肢、もっと言えば「決定ボタンを押した」ことの結果だから飲み込んでしまう)そういうのがやっぱ上手い。抜群に上手い。 個人的には『妖怪ウォッチ2』が一番そういう面が出ていてプレイしていたとても楽しかったし、『ガンダムAGE』テレビ版とゲーム版を比較してみると、やっぱりゲーム版のほうが単純に面白くやりたいこと表現してたいことが伝わりやすいというその傾向が強い作品だったと思う。 シナリオによってシステムが説明され、システムに慣れることで話の展開が理解でき、自分が操作するからこそ無茶な展開でも飲み込める……そういう「ゲームだからこそ表現できる」という機微の使い方(「ナラティブ」と表現していいと思う)に長けている。 だから『二ノ国』も例えばキャラAとキャラBが別ルートに別れて、プレイヤーがそれぞれを操作する中で、パラメーター(レベルに対する能力値が一緒だ!)や習得する必殺技を使えたり(全然キャラ設定が違うのに同じ技や魔法を覚えていくんだ……)するのを自分の目で指で確かめたり、もっというなら「操作感」レベルの部分で「体感的に」納得するものがあったり(AとBは同じ操作感でプレイできるけど、キャラCは全然違うなー)したら全然違っている。 そしてシナリオやその中で起きる「感情の動きや乗せ方」に対して、「90分の作品を見る視聴者」が感じる納得と「プレイ時間20hを超えるプレイヤー」が感じる納得は、まったく異なっている。で、やっぱりレベル5の作品は後者に特化していると言ってもいい。 だから『二ノ国』は「うわーレベル5だわーめっちゃレベル5だわー」って感じがする。 ゲームを作ることに長けてるがゆえ、ゲームでしか成立しない方法になっちゃう感じが、すごくそれっぽい。 だから私は『二ノ国』を「やや肯定できないがめちゃくちゃ悪いわけでは無い」としか言えない。そんな感想になりました。 だって、だってね。 『二ノ国』絶対に自分でキャラクター操作したら違う印象になるハズ。たとえば導入あたりでの展開で描かれた、「車椅子の子が好きな子からSOSの電話を受けて1秒でも早く助けに向かいたいのに、そのためには誰かに車を出してもらうしかない」というもどかしさとやるせなさに私は超泣けてくる。これは私が右半身麻痺を起こしていることで「動かない体のもどかしさ」を知っていることがある程度影響している。そう考えると車椅子の子をプレイヤーが操作することで「ちょっとした段差も越えられない不便さ」「階段が登れないから目的地に行けない」「健常者の友人は傷ついた彼女に駆け寄って抱き上げられる」という表現が持つ意味が強く伝わってくる。 それを体感した上で車椅子の移動がどうしても不自由であると「体感」したところから、異世界で両足が動く!歩ける!走れる!段差を飛び越せる!っていうマップに出たら操作が超楽しい!ってなるの、わかるもん。 それが「動ける自分」に感動するキャラクターと動機する描き方が、やっぱりレベル5はすごく上手なのにな……と思わざるえない。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※ この話をしたツイキャスはこちらの17分過ぎぐらいからです。
by SpankPunk
| 2019-09-03 12:03
| 映画
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