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そういう意味において、私は面白い/面白くないというのは本質的に存在せず、「わかる/わからない」だけが私を笑わせる/笑えないのだと思っている(少なくとも誰かを笑わせようとする行為は、それをやった人間にとっては間違いなく「面白い」ことであるはずだ、という信頼関係を私はいつだって手放したくはない)。 そういう意味において、ちょっとした駄洒落も考えオチも、社会風刺もナンセンスギャグも、シュールなのも下ネタも、全ては等しく価値がある。 誰しも世間でウケてる(らしい)ものが自分にはピンとこなかったり、あるいは爆笑しているのが自分一人だけだった、という経験はあるだろう。むしろ「自分にとって宇宙一笑えるギャグは、全宇宙で自分しか笑っていない」ぐらい、個人的な「わかる/わからない」に依存するものだと思っている。 とはいえ芸人という職業が成立している以上、ある程度は大勢に通用する「笑い」があるのは間違いないだろう。それはいくらかの「文化」を共有していることで、各々の「わかる」がある程度の共通項でくくることができるからだ。 ではその「文化」と「わかる」についてもっとも考えているのは誰か?と言えば、それは外ならぬ「芸人」自身だろう。 松本人志の『ドキュメンタル』シリーズを見ていて思うのは、いつもそのことだ。 「芸人が芸人を笑わせる」。この構造はつまり「ルールを熟知した者が、ルールを熟知した者と戦うとき何が起きるか」という話である。私はこの状況がトレーディングカードゲーム(TCG)のトッププレイヤーたちと重なって見える。 TCGにはカードにレアリティがあり、手に入りやすい/入りにくいカードという差が当然ある。しかしトッププレイヤーにとって(あるいはほとんどのカジュアルプレイヤーにとっても)そんなことは大した障害ではない。必要なカードは(多少の労力は必要かもしれないが)手元に揃える。それを大前提としたうえで、現在の環境でもっとも勝率の高いデッキ(メタデッキ)を想定しそれで戦うか、そのメタを食える戦略を取るか、あるいは予想外の地雷デッキで駆け抜けるか……どちらにしろ「ルールを熟知した者が、ルールを熟知した者と戦うとき何が起きるか」というのを体現している。 私は『ドキュメンタル』を見ながら、視聴者ではなく目の前の「芸人」相手に「芸人」が何をするのか?にワクワクするし、もちろん共有する「文化」があるのだから、私自身もその戦いのおこぼれに預かるように笑わせてもらっている(それこそTCGのトッププレイヤーが作り上げたメタデッキのレシピを模倣して戦ったりするように)。 それだけに普段とりたてて熱心に日本の芸人を追っていない人にとっては、共有する「文化」にどうしても差異があるし、追っている人にとってもそういった極まった環境であるからこそ「わからない」に踏み込みがちだ。それゆえ『ドキュメンタル』が面白い/面白くないという感想が割れるのは当然だし、「この笑いがわかるから偉い」とか「これをつまらないと感じるのが正しい」とかは一切なく、ただただ「私にとっては笑える/笑えない」というだけの話だ。 そういった点からどうしても気になるのは、「私はどれだけの文化に紐づいた笑いを享受しているのか?」ということ、そしてそれを確かめるのにうってつけの作品が公開された。 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07Q8FDL4N/ref=atv_hm_hom_1_c_DEaieV_2_1 である。 メキシコで有名な芸人10人で行われる、笑わせ合いバトルロイヤル。これがどのくらい「笑える」のか、どのくらい「笑えない」のか。 海外のお笑い番組で日本語翻訳/字幕がされている作品は数多くあるし、そういったものの幾つかは見て来た。それでもここまで同じフォーマットで「ルールを熟知した者が、ルールを熟知した者と戦う」姿を鑑賞できる機会は無かった。 正直期待はしていなかった。『ドキュメンタル』という場は圧倒的に「文化」の共有が求められる。「ルールを熟知した者が、ルールを熟知した者と戦う」をきちんと楽しむには、どうしたって鑑賞者にもある程度「ルールに精通している」必要がある(まったく知らないTCGの大会決勝戦がわかるはずもない!)。 それでも通用する笑いがあるかもしれないし、日本とメキシコで共有してる「文化」だってゼロってわけじゃあない。 実際、第一話で参加者が次々と紹介されるなかで、そのプロフィールや声、仕草、立ち振る舞い、もっとざっくりとした雰囲気。そういったもので「ああ、この芸人さんは日本で言うと〇〇みたいな感じかな?」「見た目は××っぽいけど、ネタはシュール・ナンセンス側なのか」「立ち位置がハイヒール・モモコだな(上沼恵美子ではなさそう)」「へぇ、オネェ系タレントってメキシコにもいるんだなぁ」という類似性を発見することができる。 それと同時にあくまでも「個人」の紹介がされていることで「メキシコって日本で言う”ピン芸人”が主流なのか!」「コメディ俳優が強いんだなぁ」「でもスタンダップコメディ―コント―喜劇―コメディドラマの境目があまり無いみたいだ」という部分もおぼろげながら見えてくる(これは『ドキュメンタル・メキシコ版』を見ただけの感想で、実態は違うかもしれない)。 そして、悪いことに予想が当たってしまった。1話~6話の計3時間を見て私にとっての「笑い」どころは数えるほどしかなかった。 後半では完全に失速するものの、この見た目はハイキングウォーキングの鈴木Q太郎な「カルロス・バヤルタ」はちょっと良かったけど、それでも爆笑……とまではいかなかった。3話の「心が死んでる」って下りはかなり面白かったけど。 しかし同3話の「交代で小話をしていこう」って部分が本当に辛い。 ただこれは出演者も十分理解しているようだったので、そこまで遠く離れた感覚ではないのかもしれない……? ポリコレや差別ギャグに関しては「その部分がダメなのかー、そういうものに留意してるのは日本と一緒だけど、微妙にポイントが違ってるんだな」「Me tooをギャグにするのは日本じゃあ難しそうだ」 裸や性器に対する放送コードには「男のケツもアウトだけど、男女同一基準ってわけでもなくて、男の乳首はOKなんだな」 下ネタは「ウンコとチンコが好きだなぁコイツら」「ここまで直接的にウンコすぎると引いちゃうなw」 という割と人類共通だと思われがちなものにも、文化の違いが表出している。 それとYoutuberに対する視線が「若い人に人気があるのは知ってるし、その努力には一定のリスペクトはあるけど、でも"僕らは違う"から」って感じで、「うわっ、一緒!そこ日本と一緒!」って部分に一番驚いた。 笑えるものを見たい、ってんならハッキリ言って見る必要はない。 けどもそういった「文化の差異と笑い」を少し知りたい、考えたい、それでも笑えるものがあるか確かめたい……のならば、観る価値はあると思う。
by SpankPunk
| 2019-04-25 15:47
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