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新刊1冊+特殊な頒布1冊+コミケ初頒布3冊です。 『アニメクリティークvol.9.5 リズと青い鳥 特集号』 3日目 東 ナ-35a「アニメクリティーク刊行会」 『girls, dance, curtain call —切り離され、繋げられる観客について』 『Nowhere and Everywhere at the Same Time No.2』というアート作品がとても好きです。 幾つもの振り子が揺れる中を、振り子に触れないように歩いて通過するっていうこの作品。本来ダンサーではない人物がその中を通過することで、振り子に合わせて立ち止まり、体を捻り、少し跳んだり、前後にタイミングを取ったりして……その姿はまるで彼らが何らかの振り付けに従って踊っているように見える、っていう。 歩いてる人たちは至って真面目で、それを「見る」私たちの眼がそれを「ダンス」に変えているのです。 虚構を覗き込むとき、私たちの眼はそこにいる非実在の人々の何でもない挙動を、勝手に「ダンス」にしてしまっているのかもしれません。 夢中でその中を覗きこんでいる間、一体何から切断(disjoint)され、終わった瞬間何と接続(joint)させられているのかでしょうか? 『アニバタVol.18 [特集]岡田麿里(BanG Dream!と合併)』 こちらなのですが、「たつざわさんのバンドリ原稿のコピー本+おまけとして後日Vol.18がダウンロード可能となるダウンロードキー」という形で頒布されるそうです。 2日目 東 G-37a「M.O.M.発行準備組合」 3日目 東 ナ-35b「アニメ・マンガ評論刊行会」 『歌えない私/歌えるあなた、飛べない私/飛べるあなた――あるいは置き去りにされた身体について』(バンドリ論) オーデションで不合格になることで描かれた「失敗すること/失敗すらできないこと」という部分から、「虚構における身体」について考察しています。 また『バンドリ』のストーリー原案である中村航の小説を、2017年に実写化した映画『トリガール』に現れる「失敗できること」という構造から、むしろ「失敗できる虚構の身体」の優位性を述べました。 『トリガール』超面白いので、まずはそれを観ろ! 『そのキズに触れるための、虚構の手について』(キズナイーバー論) 震災によって生まれてしまった「断絶」から、私たちは他者との関わりにどう想像力を持って立ち向かうべきか?という問いを、『キズナイーバー』から読み取っていきます。 そこから2018年現在の在り方として『ゆるキャン△』で描かれた「適切な距離感」についての考察をしています。 以下今年の文フリで頒布されて、コミケでは初のものです。 『アニメクリティークVol.8 終わりを「旅」する少女』 http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2018/02/22/234113 「たったひとつの冴えた、あるいは『宇宙よりも遠い場所』でいっぱいの旅」 これまで『アニメクリティーク』誌上で書いてきた「虚構的身体」について、自身におこった右半身麻痺とそれの治療過程で行ったリハビリの体験を元に、「動かなくなった自分の体」が「実在的身体」を再獲得する中での動きから考察しました。 またそのリハビリで起きる「失敗」と「個人的な到達点」を「旅路」と捉えることで見えてくる、『宇宙よりも遠い場所』で描かれた彼女たちの「同じだけど違う」「違うけど同じ」それぞれの「旅路」について思考しています。 批評するなかで時として見失いがちな「足場」を、動かなくなった足で踏みしめながら書けた本論は、間違いなくいままで書いた中でも一番読んで頂きたいものになっています。 よろしくお願いします! 『アニメクリティークVol.7.5 宝石の国+』 「切り分ける(カッティング)肉/編集される(カッティング)生/磨かれる(カッティング)宝石」 本来、傷つけば傷つくほどそこにある「身体性」が強調されていくのが、虚構のキャラクターたちである。 しかし『宝石の国』で描かれる「傷口」は、美しい輝石の断面が覗くばかりで、傷に伴う血や痛みを持たない。ゆえに宝石たちは傷つくほどむしろその体が「虚構の身体」であることを、露わにしてしまう。 その中でフォスフォフィライトが「手に入れざる得なかった」身体と、それがもたらす意味についての考察を行っておりあmす。 『PRANK! Vol.6 特集:日本アニメの新世紀』 「ぼくらに星はみえるのか」 「1917年に始まった日本アニメの系譜を「これまで」「いま」「これから」の3つの視点で考える」というテーマの中で批評としてはどうしても「すでに作られた」ものから考えていかなければなりません。 2015年のドラマ『徒歩7分』の中にこういったセリフがありました。 ”私たちが見てる未来は過去で出来てて、それってきっと偽物の未来なんだよ。なんていうか私たちの未来って過去の予想からできてるわけで、それってなんか未来じゃないんだよ。未来は未来で出来てるんだよ、きっと……なに言ってんだか自分でもわかんないんだけど!” もちろんプリキュアが言うように「未来はimaging!現在(いま)の続き」(ガンバランスdeダンス)であり、未来は現在/過去の延長線にしかありません。それでも、それでもまっさらでどこからも繋がっていない、しがらみのない「未来」が私たちには必要だとも思うのです。 というようなことを(不真面目に)書きました。 ある種『PRANK! Vol.6』自体への批判とも読める本稿を忍び込まることを許可してもらって、編集の方々の懐の広さに感服するばかりであります。 ただあくまでも「真っ当な」ものでは無いので、パワーのある原稿が多い中で、肩の力を抜いて読める【癒し枠】として受け取って頂ければ嬉しいです。 よろしくお願いします。
by SpankPunk
| 2018-08-09 17:12
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