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・罪はなく、しかし罰はある者のために 最初にはっきりと言っておかなくてはならない。 あらゆる欲望は、それを持つこと自体は全て許されている。どんな極悪非道で下劣で卑怯で下衆で卑しい願望であっても、それを望むことは悪ではない。全ての欲望は罪ではない。 そしてその欲望を実現させることは、様々な条件下で許されている。 いまからするのはエロマンガの話だ。もっとざっくばらんにわかりやすくいこう。 「あの人とセックスしたい」と思うのは自由だ。その欲望を持つことは誰にだって許されている。それを「あの人」の合意なく実行に移すのは許されないが、「あの人」との合意があるのならセックスすることに何の問題もない。関係者の間でコンセンサスが取れているのなら、誰が誰とセックスをしようが問題は無い。 わけではない そこには例外があることを私たちは当然知っている。 例えばこの『だから神様、ボクにしか見えないちいさな恋人をください。』(御免なさい/株式会社ジーオーティー/2016年)で描かれているような「年端もいかない子供」とのセックスは、どれだけ当事者の間で合意が取れていようとも、罪になる。 欲望することは許されている。しかしその欲望を満たすことは、どれだけの条件をクリアしたとしても絶対に許されない。 ロリコンであることに罪はない、だがその欲望は絶対に満たされてはならない。 欲望は決して実行に移されることはなく、永遠に満たされないまま残り続ける。欲望の充足が幸せの一つの形とするならば、彼らは「絶対に幸福になれない」ことを既に決定されてしまっている。 それは罰だ。 罪なき彼らになぜか課せられた罰である。 ・約束された罰のための罪を 御免なさいがブログ等で頻出させるキャラクターに「残虐さん」がいる。 彼女は「ロリコンを殺す幼女」という存在として、あらゆるロリコンに襲い掛かる。そしてその幼女の姿を「餌」として近づき、彼女の姿に性的な興奮を覚えたことを証拠として、ロリコンを殺す。 ロリコンはその性的嗜好ゆえに最初から「絶対に幸福になれない」という罰を受けている。しかし残虐さんは対象がロリコンであることを確認してから……つまりその欲望があらわになった瞬間に殺意を向ける。 それは何の罪もないのに罰を受けなければならないロリコンにとって、ある種の救いなのである。彼らは残虐さんによって殺され「罰」を受ける。だがそれは残虐さんに対する欲望の発露という「罪」に対応する形で執行されるのだ。 「オレは『納得』したいだけだ。『納得』は全てに優先するぜッ! でないとオレは『前』へ進めねえッ! 『どこへ』も!『未来』への道も!探すことは出来ねえッ!」と『ジョジョの奇妙な冒険 スティール・ボール・ラン』のジャイロ・ツェペリは叫んだ。 『納得』できない罰よりも、『納得』できる罰を。残虐さんはロリコンを殺す、しかし殺すがゆえに彼らに『前』を見せることができるのである。たとえそれがこの世で見る最後の光景だったとしても「『納得』は全てに優先する」のだ。 ・先回りする罰 本作では残虐さんほど苛烈ではないにしても、幼女を犯したことに対する罰が描かれる。『さわらぬ神(○リ)にたたりなし!』では恋人同士になるという双方の合意が描かれながらも、最後のシーンで竿役の男はスクーターに轢かれる。コミカルな描写で大したケガも無いように演出されているが、そのシーンで「さわらぬ神(○リ)にたたりなし」から「祟りがあった!」という罪→罰という回路が提示されている。 また『脱出!ちびっ娘専用車両(後編)』では徹底した女尊男卑の世界観を設定しながら、幼女を犯しつくした竿役の男を異常に雑な裁判によって「死刑」宣告をさせる(それは数ページ後で否定されるのだが)。『偉大なる詐欺団(アイドル)』では幼女自身がセックスできた喜びのあまりSNSにアップした行為中の画像によって、関係者一同は逮捕される(それに対して当の本人は、コミカルに泣きながら「ふえぇ~~~ん…みんな捕まっちゃったよ~…」と述べるだけだ)。 それぞれの物語は大きく竿役を傷つけることなく「罪」に対応する「罰」がなんとなく存在することを示しながら、致命的なものとしては描かれない。 しかし御免なさいという作家を知るものにとっては、その背後に「残虐さん」の視線を感じざるを得ない。作品上は大したことのない罰で完結しているものの、それと同時に「罰」があることで、その背後には残虐さんの殺意が常に控えていること思い出させる。 本作中での例外として『ロッカーの神様』では、相手役を「神様」という設定にすることにより、リアル幼女へ向けられる性の視線をズラすことによって罪の発生を回避している。とはいえ作中では竿役である小学校教師の口から 「俺には相手が居ません…ちびっこぱんつが関の山です。 何故なら………ロリコンだから! 正直に言います…毎日生徒達に囲まれて欲求不満なんです! こどもに恋したり欲情するのは、社会的に異常です! でも…俺にとっては極自然な感情なんです! だけど死んでも手は出したくない!みんなが不幸になるだけです!」 というセリフが語られ、むしろ前述した「絶対に幸福になれない」という罰が”先んじて”竿役の身に与えられていることを殊更強調しているのである。 そんな罪→罰という回路を構築することに(あるいはすでに与えられている罰に対して罪を提供するように)作られている本作収録作品の中で、その流れから外れているのが最後に掲載されている『ひなちゃんと歩くATM』である。 ・この視線は誰のもの? 『ひなちゃんと歩くATM』ではロリコンの「がぁくん」(スーツ姿と仕事帰りであることを示唆するセリフから少なくとも成人男性だと予測できる)と、「お互いにお触り厳禁」というルールの元で下着や性器を見せることで「歩くATMからお金を引き出す」女児の「ひなちゃん」との物語である。 そもそもこの援助交際的な関係がはじまったのは、ひなちゃんがクラスメートから唆されてのことである。「歩くATM」からお金を引き出している(=絶対にお触り厳禁の性的サービスによって金銭を得る)グループの仲間になるために、ひなちゃんはがぁくんを「歩くATM」とした。 その証拠の写真を見たクラスメートから「いいよ…仲間にしてあげる。これで親友だよ」と言われ嬉しそうな顔をする。と、同時に「何があってもお互い指一本触れたらダメだからね。もしこのルールを破ったら…絶交だからね」とその援交グループのリーダ格から告げられる。 そしてその「絶交だからね」のセリフが重なる形で、がぁくんとひなちゃんの「お触り厳禁」関係が初めて成立した場面が描かれる。 ひなちゃんの性器を見ながら激しい嗚咽をあげて(その表情はひなちゃんのTシャツに隠れており、隙間から覗く口元は強く歯を食いしばっている)自身のペニスを手でしごくがぁくん。その嗚咽は恐らく「人の道を外れてしまった自分への悔恨」のように見える、そしてそれでもペニスを擦る手を止めることができないどうしようもない衝動。 自分の前に跪いて嗚咽を漏らすがぁくんに対して、その頭を抱き締めようとするひなちゃんの脳裏に「ルールを破ったら絶交」という言葉がよみがえり、伸ばしかけた手を引っ込める。 本来はがぁくん→ひなちゃんの関係だけに存在する「お触り厳禁」のルールは、想定しない形でひなちゃん→がぁくんの関係にも制限を加えてしまうのである。 『ひなちゃんと歩くATM』の物語は、そのひなちゃんとがぁくんの出会いの回想を挟みながら、がぁくんの家で展開する。 性的サービスに要求される金銭的な限界とがぁくんの罪悪感により、ふたりの関係は「がぁくんがひなちゃんの電話を無視する」という形で一方的に解消されようとする……しかしそこにひなちゃんが押しかけて来る。 結果として二人の間にあった「お触り厳禁」というルールは破棄され、同情が愛情にすりかわったひなちゃんとロリコンのがぁくんは結ばれることになる。 そしてこの単行本では、この作品においてのみ唯一「何の罰も受けない」ロリコンの姿が描かれるのである。 そしてもう一つ特異なものが描かれる。 それはひなちゃんとがぁくんを見つめる「過去のひなちゃん」である。 ![]() ここで挿入される視線は(まぁおちんちんも挿入されてるわけですが)、二人の関係を外部から見つめる視点である。 この視点について考えるまえに、私たちはエロマンガを読む時「何を見ているか」を考えなければならない。 男性向けポルノ作品、特にエロマンガにおいて読者が受け取っている快楽の発生源は、作中男性に与えられているものだけではない。作中のシーンで重点的に描かれているのは「快感にあえぐ女性の姿」であり、快感を得ている男性の姿は描かれていないわけでは無いが、ページ数に対する割合において圧倒的に女性の快感の方が多く描かれている。 永山薫『エロマンガ・スタディーズ』から引用をしよう ”「幼女の図像」もまた性的対象であると同時に、意図的あるいは無意識的な自己投影の器であり、さらに脳内楽園を構築するためのインデックスであり、誤読するための仮設定なのである。 「可愛い少女キャラを愛したい/抱き締めたい/犯したい/虐待したい」という判りやすい所有と対象化の裏側には、時として「可愛い少女キャラになりたい/愛されたい/抱き締められたい/犯されたい/虐待されたい」という同一化の欲望もまた隠されている。” つまり読者は男性の快感と同時に、女性の快感も受け取っているのである。 この構造を『ひなちゃんと歩くATM』は更に強化している。 「お触り厳禁」というルールは本来ロリコンから幼女への縛りとしてのみ作用するものだが、前述したように「ルールを破ったら絶交」という条件によって幼女からロリコンへの縛りとしても設定されている。 「触りたい、のに、触れない」という関係は(それこそ『触らぬ神(○リ)に祟りなし』というタイトルや、有名な『LO』の「Yes,ロリコン NO,タッチ」という標語にも表れているように)ロリコンへ一方的に課せられていたものである。 しかしここでは幼女に対しても「触りたい、のに、触れない」という関係が発生しており、そのもどかしさは「双方向」に働いているのである。 引用したように女性に対する同一化は「愛したい←→愛されたい」という対称的なものとして欲望されている。本作ではそれに加えて「触りたい=触りたい」という同じ欲望が描かれており、そのもどかしさを乗り越える決意と罪悪感と快楽は、同一化の欲望をより強固なものとしているのだ。 その関係に「外」から注がれているのが、「過去のひなちゃん」からの視線である。 「過去のひなちゃん」は窓ガラスに阻まれながら、自分の「触りたい」という欲望が満たされる場面を観察している。 ここにもう一つ描かれてはいないが、存在する視線がある……「読者の視線」である。 「読者の視線」は二次元と三次元の(虚構と現実の)壁に阻まれながら、自分の「触りたい」という欲望が満たされる場面を観察することになる。 それは決して自分は触れられないながらも、その視線の先で欲望が成就する姿を見る、という意味において「過去のひなちゃん」の視線と同じものだ。 そして前述したように同一化の欲望は、男性の快楽と女性の快楽を混在させる。 つまり触りたいという欲望が満たされる先へ注がれる「過去のひなちゃん」の視線もまた「読者の視線」と同一化していくのである。 冒頭で述べたようにロリコンにとって「その欲望は絶対に満たされてはならない」ものである。それは窓ガラス越しに(あるいは時間の断絶越しに)見つめる「過去のひなちゃん」も変わらない。それでも今の自分には決して達成できない欲望を、未来の自分が完遂する姿を一つの喜びとして見つめている。 それは「決して満たされてはならない欲望」読者の視線が、「過去のひなちゃん」の視線と同一化することで「もしかしたら叶うかもしれない欲望」に読み替えられていくことに他ならない。 「決して満たされてはならない欲望」を持つ読者にとって、作中のロリコンにも幼女にも決して成ることは出来ない。幼女とのセックスを描くフィクションは必ずその断絶を持ち合わせてします。 『ひなちゃんと歩くATM』は、そこに外部からの視線……今は満たされないが、未来で満たされる者の視線を描くことで、読者に対して「あなたは決して満たされない、しかし”満たされた者”を知ることができる」と告げている。 それは倫理と法律と現実のなかで悶える、決して幸福になることのない「あらかじめ罰を受けている者」に対する、誠実でそして優しいメッセージなのである。
by SpankPunk
| 2016-10-25 23:16
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