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以下『昭和元禄落語心中』9巻の(致命的ではない)ネタバレがあります。ご注意ください。 9巻だからね!アニメの方じゃないからね! ・噺に込めた意味 「もう落語はしない」と言っていた八雲師匠ではあったが、寄席ではなく、世話になった人々と孫の前であることもあり、久方ぶりの「落語」をしようとした矢先に警察が乱入し、落語を聞かせたい相手の一人であった組長がお縄にかけられてしまう。 そこで三代目助六が、その組長が収監されている刑務所の慰問をとりつけ、その高座で八雲があげたネタが『たちきれ(たちぎれ線香)』である。 そもそも『たちきれ(たちぎれ線香)』がどういうネタかといえば ある商家の若旦那が初めて訪れた花街で一人の芸者に一目惚れをする。その芸者に入れあげ、店の金にまで手をつけるようになった若旦那は、番頭によって店の倉のなかに100日間閉じ込められる。 その間、芸者から毎日のように手紙がくるが、80日目にぱったりと止んでしまう。 ようやく倉から出た若旦那は花街に向かうが、その芸者は20日前に亡くなっていることを知らされる。 仏前に線香を灯すと、その芸者の持ち物であった三味線が勝手に鳴りはじめ、そして線香が消えるとともにその音は止まってしまう…… という人情噺である。 これはお縄になった組長へのメッセージとなっている。 「あなたが刑期を終えて出てくるまで、私の命はもたないでしょう」と噺でもって伝えているのである。 それは自分が渋ったことで、組長へ最後の落語を聞かせられなかった悔いであり、それを払うための行為なのである。 しかし、この噺の意味はそれだけに留まらない。 ・刑務所の中 『たちきれ(たちぎれ線香)』を「刑務所の慰問」で行うエグさ。さすが三代目助六が囚人時代に同じ刑務所慰問で『死神』をやった男ではある。 なんせ「お前らのオツトメが終わってシャバに出るころには、お前らの愛する人間はもう死んでるかもな」という噺をしているのだから、慰問に来たんだか叩き落としに来たんだかわからない。 しかしこれは「模範囚になって早く仮出所しなくては!」と思わせる一面もあり、それを見越して八雲はこの噺をやったように思えなくもない。 だが一方で、この落語は八雲の思惑以上にそういった”戒め”の側面が強く現れてしまっているのである。 それをさせたのは八雲の「老い」なのだ。 ・失われる「落語」 八雲自身、自らの老いによって落語の精度が下がっていることを把握はしている。それは喉の枯れや声量の低下という、感覚的なものだけでなく「落語」のコントロールにも表れているのである。 そもそもこの『たちきれ(たちぎれ線香)』は人情噺であるものの、そこに思い詰めた人間の姿や、生き死にのままならなさといった無常感といった、単純に「人情」だけではないものが込められている。 噺家それぞれの解釈にもよるが、この『たちきえ(たちぎえ線香)』では、人情噺ではあるものの、過剰に悲劇的に「演じてはならない」というのが定石である。 しかしこの刑務所慰問では、客席を泣かせ、アネさんも泣かせ、自身も役に「入り込みすぎ」ているのだ。 それが失敗であったことを如実に表しているのが、9巻後半での三代目助六の落語を評した 「駄ァ目、不愉快でなりません。笑わせるか泣かせるか、それしきゃねえんだ。わかりやすくだの易しくだの、そんな事より芸には品がなくちゃあいけません」 という台詞だ。 これは三代目助六への評価であるとともに、自身の落語への後悔ともなっている。だからこそ「不愉快でなりません」というキツい言葉になっているのである。 八雲は囚人に対して『たちきれ(たちぎれ線香)』というエグい噺を聞かせることにした。それは自分の落語なら「悲劇的になりすぎない」というコントロールが可能だと思っていたからだ。 しかし八雲の老いが(もうひとつ付け加えるなら、三代目助六による二代目助六を「コピー」した『芝浜』における「泣き」が)そのコントロールを失わせ、過剰に泣かせる噺へとさせてしまったのである。 ・それを選ぶ意味がある 「組長へのメッセージ」と「刑務所慰問でこの噺をかける」という八雲の底意地の悪さを描きながら、同時に「八雲の老い」を描くには、この『たちきれ(たちぎれ線香)』という噺がもっともその要求に応えることができる。 あるいは『昭和元禄落語心中』で、初めて描かれたネタは「死神」である。己の寿命を伸ばすために、蝋燭に火を移す……そしてそれに失敗し、バッタリと倒れる。 八雲は二代目助六と落語を継承していくと誓いながら、その約束は果たされず、その結果として自分が落語を終わらせると決意する。 まさにこの「火を移そうとして、失敗する」という「継承と失敗」が重なるように描かれているのである。 ひとつひとつの意味を重ねるように、描かれる噺は選ばれているのである。
by SpankPunk
| 2016-02-10 22:55
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