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・「ひとりぼっち」じゃない。 まず注目したいのは第2巻の22ページで語られている「魔法」の解説部分である。 ここで大鳥は 「抽象的な意識を無理やり言語に換えるために、既存のもので補う行為では、オリジナルの本質をすべて表しきれないものよ」 と語っている。 この言葉をそのまま信用するならば、この作品における発言(特にオルベリオ星人のもの)は「オリジナルの本質をすべて表したもの」だと考えることができる。つまりこの『ひとりぼっちの地球侵略』という作品タイトルも、「オリジナルの本質をすべて表したもの」だということだ。 しかしここで改めて考えてみると、大鳥が本当に「ひとりぼっち」で行動していたかには疑問符が付く。 例えば過去編を中心とした第4巻では66ページで「今は仲間を呼ぶための準備をしているところなのだ」と語り、オルベリオが滅んだと聞かされた後(121ページ)で「ひとりぼっちになっちゃたよぉ…」と涙を流す。つまりここまでは「ひとりぼっちではなかった」ということだ。そしてその「ひとりぼっち」になった直後に、大鳥は岬一という仲間を得る(130ページ)こととなり、弱くてたった一人の仲間ではあるが「ひとりぼっち」では無くなるのである。 あるいは第1巻での大鳥と岬一の再開では「わかった、仲間になる」と口先だけではあるが(前述したようにオリベリオ星人にとっての言葉の重要性を考えるなら、この「口先」だけのやり取りにおける言葉の重さは、地球人である岬一との間に大きな不均等がある)約束をする。つまりこの時点でもやはり「ひとりぼっち」は解消されているのである。 また他の星系からの侵略者においても、リコの「仲間を呼び寄せてやる」(第2巻101ページ)やエラメア星人の血を引くアイラは自分の血統である「家族」を強く意識している。あるいは同じオルベリオの人間(よく読解すると、どうやらオルベリオ星人では無いようだが)であるマーヤは142人の姉妹の存在にこだわり(第6巻136ページ)手下を連れていたり、凪と協力をしていたりと同様にその状況を「ひとりぼっち」と表現するのは難しい。 つまり既刊分において「ひとりぼっち」で地球侵略を行っている者はどこにもいない。だが冒頭で述べたようにこの『ひとりぼっちの地球侵略』という言葉が「オリジナルの本質をすべて表したもの」であるとするならば、結論はただ一つである。 これから、誰かが、ひとりぼっちになる。 ということだ。 ・「ひとりぼっち」になる。 例えば大鳥が死ぬ、岬一が死ぬ、アイラの血縁が絶滅する、リコの星が滅亡していることが判明する……といった展開で「ひとりぼっち」を作ることは容易である。が、しかし本作は生死観において比較的ドライな作風ではあるものの、そういった安易な展開を描く可能性は現時点までの表現を見る限りは、かなり低いだろう。 それよりも、第1巻で描かれた「心臓」に関するやりとり……例えば「君は人のものになんてことをしてくれるんだ」(20ページ)「君、その心臓と同化したね」(30ページ)や、岬一の「でも、俺は先輩に力を分けてもらって嬉しかったんだけどな…」(第3巻166ページ)、凪の「お前も死んじゃえばいいのに」(第4巻56ページ)、まるで142人の姉妹の総意であるかのようなマーヤの「お前だけは許さない…!!」(第6巻137ページ)、あるいは第7巻の凪の独白「岬一はあいつに命をもらい、俺にはない心臓をもらい受けた」(178ページ)等々、この『ひとりぼっちの地球侵略』では、自己と他者を過度に同一化することによって成立している関係性が多く描かれている。 自己と他者の境界が曖昧であることは、発達段階においてままあることである。例えばフロイトは、男児が超自我を形成していく過程で父親との同一視は必要なものだと述べている。 一方でその自己と他者の同一視が起こるのは成長過程であり、精神的に未成熟な状態であることを意味しているのだ。 つまりここで「ひとりぼっち」の持つ意味は反転する。 『ひとりぼっちの地球侵略』の「ひとりぼっち」という語は、孤独で寄る辺の無い悲しみを意味するものではなく、成熟して確固たる自我を持っていることを意味する「ひとりぼっち」を示しているのである。 そしてその片鱗はすでに表れている。 それは第7巻の47~48ページで描かれる大鳥と岬一のやりとりである。 岬一「先輩だったら何を目印にするかなって考えながらな! すっげえたいへんだったんだぞ!」 大鳥「私だったら、って… 広瀬くんは私じゃないよ」 岬一「ん?」 大鳥「あなたは広瀬くんでしょ」 ここまで『ぼっち侵略』では、自己と他者を過度に同一化することによって人間関係を描いてきた。しかしここで大鳥は「私」と「あなた」をはっきりと切り分けて認識をしている。 ただこれは同郷のオルベリオの人間と出会い、しかし拒絶されたことによる一時的なショックの効果によるものであり、「同じオリベリオの人間」である相手と「仲間になれなかった」ことから、「私」という個の振る舞いを意識せざる得なくなったことによるものだろう(そういう意味ではマーヤとの闘争から岬一との再会までは「ひとりぼっち」であったと言える。しかしその期間大鳥は秘密基地に引きこもっており、「地球侵略」は行っていない。つまりこの時点でも未だ『ひとりぼっちの地球侵略』というタイトルの遂行は行われていないと言える)。 その証拠に同じく第7巻において、岬一が大鳥に対しの「一蓮托生じゃー!!」という叫びは受け入れられ(61ページ)、あるいは、アイラが懸念として「岬一は希の心臓を完全に取り込みつつあるんじゃないかしら」(160ページ)と告げた言葉に対して、むしろ大鳥は喜ぶべきことのように「私の心臓が広瀬くんと一つになる…」とつぶやく(188ページ)のである。 つまり一度は達成した「ひとりぼっち」は、再び同一化によって失われしまうのである。 ・「ひとりぼっち」とリボン おそらくこれから先の『ひとりぼっちの地球侵略』は「私は私」「あなたはあなた」という、個人としてのアイデンティティの問題に踏み込んでいくことになるだろう。特に岬一と凪の間にある問題は、それぞれが独立した個人であることを認め合うことでしか解決できない。そしてその解決の過程で、大鳥と岬一の同一化も解消されていくとこになると思われる。 それが達成されてようやく「ひとりぼっち」での地球侵略がはじまるのだ。 しかし、その同一化の解消は「仲間」という関係の解消にはならない。なぜならこれまでは同一化による共闘であり、それは「私とあなた」の区別が無いふたりの戦いでありその関係は実際のところ「仲間」ではない、同一化が解消されることによって「私」と「あなた」が独立した存在でありながら、対等に並び立つものとしてようやく「仲間」になることができるからである(そういう意味では「命令できる」という主従関係をキャンセルした第6巻後半での岬一とリコの関係は、その「仲間」を先取りしているとも言える)。 さて、ここで改めて考えたいのはオルベリオ星人の地球侵略の目的は「移住」だということである。つまり『ひとりぼっちの地球侵略』の「地球侵略」が意味するのも「移住」だということだ。 ということは『ひとりぼっちの地球侵略』というタイトルをここまでの考察に当てはめるなら「私(大鳥希)が自己同一性を獲得することによって、地球で生きていく決意をする」ということを表しているのである。 そしてそれはアイラの祖母(エラメア星人のおばあさん)による「この星を第二の故郷と決めた」(第4巻15ページ)という言葉によって、達成可能なこととして既に語られているのだ。 最後に、オルベリオによって地球に設置された宇宙人の進入を防ぐ「港(ポート)」は、作中で徹底して「地球がリボンでくくられている」というイメージ図で描かれており、またその「港」の管理、つまり現在の閉じている「港」をオープンにする権利は、大鳥に与えられている。 私たちが一般的に「リボンでくくられたもの」から想像するものは「プレゼント」である。 そして「プレゼント」のリボンをほどく権利を持つのは、「プレゼント」を贈られた当人だけだ。 「地球」という星自体が、既に滅んだ(とされる)オルベリオの王からの最後のプレゼントであり、そのプレゼントを贈られたのは「リボンをほどくこと」ができる大鳥希なのだ。 つまり彼女には侵略をするまでもなく、この地球は既に与えられている。あと必要なのは、彼女の「私」が「ここで生きる」という決意だけなのである。
by SpankPunk
| 2015-06-20 16:03
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