|
カテゴリ
ほんにゃら
姉妹ブログ
機械の花 宝石の蜂 以前の記事
2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 08月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 09月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 ほんにゃら
検索
タグ
最新のトラックバック
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
|
・「きゃりーぱみゅぱみゅ」の持つ「現実に包まれた虚構」 『あの交差点で みんながもしスキップをして もしあの街の真ん中で 手をつないで空を見上げたら もしもあの街のどこかで チャンスがつかみたいのなら まだ泣くのには早いよね ただ前に進むしかないわいやいや』 (きゃりーぱみゅぱみゅ『PONPONPON』より) 「きゃりーぱみゅぱみゅ」のPV(『PONPONPON』や『つけまつける』)であったり特異なファッションにおいて、あるいは中田ヤスタカの楽曲においても、彼女はかき消される事無く「きゃりーぱみゅぱみゅ」としての存在を誇示できている。 それは彼女が最初に現れたのがストリート/リアルクローズでのストリートスナップ(そしてそこからの読者モデル)が出自であることに起因しているのである。 つまり「きゃりーぱみゅぱみゅ」は常に現実と接続されている「状態」を含めた在り様であり、第三者が観察できる「現実」として存在するものは常に「きゃりーぱみゅぱみゅ」を"含まざる得ない"。 故にどのような修飾を用いても、それが表に出る瞬間に「きゃりーぱみゅぱみゅ」という現実によって上書きされてしまうのである。 しかしそれは本来、青文字系ファッション誌(spring/Zipper/KERA等)が持つ「浮遊感」とは相容れないものである・・・ならば「きゃりーぱみゅぱみゅ」は何を持って青文字系の少女達に支持を受けているのか? それは、彼女を成すものが「『KERA』の原宿ストリートスナップ」だからなのである。 先の部分で「ストリート/リアルクローズ」とは言ったものの、それはあくまで『原宿』という場所での「ストリート/リアルクローズ」である。 それは他の街に出てしまえば「奇抜で独特」としか表現できないものであり、そこに宿るのは「非現実」性だ。 それを逆に見れば「奇抜で独特で非現実的」な"原宿系リアルクローズ"の存在が許される『原宿』という街は「非現実=虚構」という成分を色濃く持ち合わせているのである。 合わせて整理すれば、「現実にそこにあるストリート=存在を担保する街」という外殻、「非現実が許されるストリート=虚構を提供する街」という内臓。この二つの属性/関係性が「きゃりーぱみゅぱみゅ」と「原宿」をそうたらしめているのである。 それが冒頭に載せた『PONPONPON』の歌詞にも表れている。 『あの交差点で みんながもしスキップをして もしあの街の真ん中で 手をつないで空を見上げたら』 ミニアルバムのタイトルが『もしもし原宿』となっている事からも解るように、この歌詞における「あの街」とは単純に「原宿」の事である。 しかし、そこで行われることは「みんながもしスキップをして/手をつないで空を見上げたら」という非現実的=虚構性の高い出来事であり、ここでの「あの街=原宿」は「虚構としての原宿」である。 『もしもあの街のどこかで チャンスがつかみたいのなら まだ泣くのには早いよね ただ前に進むしかないわいやいや』 そして実際に「あの街のどこかでチャンスをつか」んだきゃりーぱみゅぱみゅが歌うこの詩は、まさに「現実に接続された」歌詞であり、彼女の存在を虚構の上から「現実として担保」するものになっているのである。 ・『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』とは? さて、ここまでで述べたように「きゃりーぱみゅぱみゅ」とは「虚構の内臓を現実の外殻で覆った存在」だと言える。 それならば、彼女の『本質』とは一体なんなのであろうか? 我々が目視出来る「きゃりーぱみゅぱみゅ」は、ただの外殻である。 しかしその内側は虚構でできており、その中身を掴む事は出来ない。 つまり「きゃりーぱみゅぱみゅ」は単体において『本質』を持たない存在なのである。 しかしスペースシャワーTVにおいて、1月25日(水)24:30よりこの様な番組が放送されるのである。 『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』 http://natalie.mu/music/news/63091 『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』トレーラー http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=pv-a3Ih03MI 一体『本質』の無い「きゃりーぱみゅぱみゅ」の『真実』を、このフェイクドキュメンタリーどの様に描くのか? それをこの番組のディレクターから予測していきたい。 ・『トボケレトロ』の持つ「虚構から現実へ」の力 『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』のディレクターをされているのは、『ふりふり組織』というイラスト、映像、デザインの制作を行っているユニットの『ソーシキ博士』という人物である。 この『ふりふり組織』とは、ここ最近ではNHK「シャキーン!」でのコーナー内イラストを制作していたり、お笑い芸人/ミュージシャンのマキタスポーツが率いるバンド「マキタ学級」の『十年目のプロポーズ』(http://www.youtube.com/watch?v=O204B23Ju6U)のPV制作をしたりと精力的に活動をされてるデザインユニットである。 この「ふりふり組織」、数年前まではネットで週に1-2本の動画を作ってUPしており(現在は殆どの動画は残念な事に削除されていますが・・・)その内容の面白さ・・・特にライブでのスペシャル版で作られたフェイクドキュメンタリーは筆舌に尽くしがたい面白さであり、今回の『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』もフェイクドキュメンターということもあり、「ふりふり組織」の能力が遺憾なく発揮されるものとなるのは間違いないのである。 そしてこの「ふりふり組織」、そしてその代表である「ソーシキ博士」が掲げているのが『トボケレトロ』というものである。 この『トボケレトロ』について、ソーシキ博士が自身で解説されたものを引用すると 『トボケレトロとはふりふり組織が(自分達で勝手に)標榜しているスタイルです。 この言葉には「どこかトボけた(マヌケな)レトロ」というパッと見で感知できる意味より、もう少し深い意味があります。 昔の漫画、アニメ、広告などを見ていると、現代的に洗練される途中で捨てられた手法や技術や発想などがたくさんあったことに気づかされます。 そういったアレコレは確かに野暮ったさはあるものの、実はいまの目線で見ると非常に魅力的だったりします。 現代では考えられないような広告ですが、しかしだからこそ今見るとそのズレがとてつもないインパクト(ふりふり組織ではこれを「殺気」と呼んでいます)を産んでいるように思います。 「こういったものが時代の中で切り離されずにいまも残っていたら…」 それが「トボケレトロ」のテーマです。 当時あったものをただ「レトロ」として拝借してくるのではなく、それが「レトロ」にならずに今も続いていたら…と仮定してその最先端を表現する。』 「ふりふり組織のブログ:トボケレトロ」より引用。 この『トボケレトロ』の説明をざっくりと再構築してみる。 「こういったものが時代の中で切り離されずにいまも残っていたら・・・」という前提は今の時代の流れと別の「疑史」を想像することであり、それはそのまま「虚構の物語」を作り上げることに他ならない。 ただ単純に「ありえなかったはずの未来」を想い、そのifを書くだけならば、それは徹頭徹尾「虚構」のままである。 しかし「ふりふり組織」はここで恐るべき転換を・・・「虚構」の先にあったものを実際に「制作する」という豪腕を振るうのである。 「虚構」の果てにあるものは、どうしたって非現実のものである。 しかし「ふりふり組織」はその「擬史」が本当に存在している並行世界に手を突っ込み、次元のはざまからポロリと『この世には存在しないもの(トボケレトロ)』を作品として「現実」に呼び寄せてしまうのである。 つまり「ふりふり組織」は、「虚構」というフィールドを作ったその真ん中に「現実」を、しかも実在として作り上げることが出来る稀有な才能を有しているのである。 ・それは正に『きゃりーぱみゅぱみゅの"真実"』 先に述べたように「きゃりーぱみゅぱみゅ」には本質が存在せず、「現実という外殻」と「虚構という内臓」を持った生き物だ。 つまり彼女単体では、永遠に「きゃりーぱみゅぱみゅの真実」には到達する事ができない。 だがしかし、そこに「ふりふり組織」によってフェイクドキュメンタリーという手法・・・つまり「虚構としての設定」と「現実にドキュメンタリーとして撮られる演者」を導入することによって何が起こるのか? まず「きゃりーぱみゅぱみゅ」が外殻としてまとっている「現実」はあくまでも「街=ストリート」に紐付いたものだ。 それは「虚構としての設定」の世界に放り込まれた瞬間、いとも容易く解体されてしまう。 そして残った「虚構の内臓」に対して容赦なくカメラは向けられていく。その時「虚構」であったきゃりーぱみゅぱみゅは遂に「現実として」その場に召喚されるのである。 つまり『きゃりーぱみゅぱみゅ』の『真実』を描くという行為は、「虚構で覆われた現実」というフェイクドキュメンタリー・・・もっと言えば、それを自分達の武器として研ぎ澄ませた「ふりふり組織」にしか出来ないことなのである。 このように『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』と名付けられたこの作品は、ファイクドキュメンタリーでありながら正に『きゃりーぱみゅぱみゅの"真実"』をもっとも正確に映し出す作品となっているのである。 あとはこの考察が本当に正しいかどうか、それを実際に確認するだけなのである。 ・スペースシャワーTV『きゃりーぱみゅぱみゅの真実』 2012年1月25日(水)24:30 ~ 25:00 【リピート放送】 2012年1月31日(火)25:00 ~ 25:30 2012年2月09日(木)24:30 ~ 25:00 2012年2月12日(日)21:00 ~ 21:30 2012年2月18日(土)26:30 ~ 27:00
by SpankPunk
| 2012-01-23 21:45
| 考察
|
ファン申請 |
||