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『ましろ色シンフォニー』4話において主人公の瓜生新吾はこう言った「僕はまわりの空気を壊さないように笑っている」と。 つまり彼は自ら積極的に事体を駆動させる事はなく、それはつまり彼は『主人公ではない』ということだ。 では、誰が主人公なのか? 主人公とはお話の中心にいる人物であり、作品は主人公が何らかの達成をさせるためにある。言い換えれば「作品は主人公に奉仕するもの」である。 アニメ『ましろ色シンフォニー』という作品は一体誰に奉仕しているのか?その答えは6話にあったのだ! 6話において、なんと二回も入浴の(しかも混浴の!)シーンがある。 しかしその2つの入浴シーンはまったく対称的になっているのである。 ・第一の入浴シーン ここでは新吾が入浴しているところに、バスタオルを巻いた妹・桜乃とメイド・アンジェが乱入してくるのである。 ![]() しかも彼女達はそのバスタオルがはだけても、大して慌てる事も無いのである。 ![]() ・第二の入浴シーン ここでは雨に濡れた新吾が、強制的に愛理宅にて風呂に入れられ、そして同じく雨に濡れた愛理が乱入してくるのである。 ![]() しかも見られないようにわざわざ電気を消して!! さてここで問題になるのは「この状況と態度の差はどこからくるものなのか?」といことだ。 桜乃とアンジェは「裸を見られた事」を大したことをは受け止めていない。 この二人と新吾の関係性が妹/メイドというものであり、彼女達が持つ認識の中では「新吾が自分達の裸に興味を示す事は無い」ということになる。 それはつまり「自分達の裸は新吾にとって価値の無いもの」であり、たとえ「見られた」としてもそれは物理的に視界に入っているだけである。 故に彼女達にとっては、裸を見せようを見せまいがそんなことはどうでもいいのである。 しかし愛理は違う。 彼女はわざわざ電気を消してまで、自分の裸体を隠すのである・・・誰もが思うだろう「じゃあ一緒に入るなよ!」と。 しかし上で述べた様に「見られることが無価値」であるのなら、ここまで用意周到に「隠す」必要は無い。では何故わざわざ隠すのか? それは「愛理の裸は新吾にとって価値があるもの」だからだ! いや、正確に言い直そう「愛理にとって『愛理の裸は新吾にとって価値があるもの』であって欲しい」からなのだ。 しかしは『愛理の裸は新吾にとって価値があるもの』かどうかは、愛理には解らない事である。 それを確認するためには、愛理は新吾に「裸を見せる必要」がある。 つまり愛理は『裸を見られたい』のだ! しかし本当に「価値あるもの」だった場合、愛理はそう簡単に裸を見せるわけにはいかない。 この「見られたい」「見せられない」のせめぎ合いの結果が『隠す』という行為になるのである。 そしてなんと!この直後、彼女の『本当は見せたい』という想いが映像として顕在化するのである。 一度落ち着いて考えてみて欲しい。 真っ暗闇の空間で、映像の一部を隠そうと思うときどうすればいい? 単純に黒い色を重ねて、下の映像を消してしまえばいい。それが自然だ。それが一番目立たない。 当たり前の事だ。 そう、それは当たり前の話だ。 しかしここでは、思いっ切り真っ白な(ましろ色だけにね!HAHAHA!)光が差し込んでいるのである! ![]() これはただの「消し」でない! 愛理の『見せたい』という想いが欲望が、暗闇に差す光となって現れているのである! ここで冒頭の話に戻ろう。 アニメ『ましろ色シンフォニー』という作品は一体誰に奉仕しているのか? 本来は規制であり邪魔なものである「消しの光」さえも己の欲望を表す道具とした「愛理」こそ、紛う事なき本作アニメ『ましろ色シンフォニー』の主人公なのである。 あと普通に淫乱の露出狂。
by SpankPunk
| 2011-11-10 23:36
| アニメ
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