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・映司は『ヒーロー』ではない 映司には「欲望が無い」と作品内でしばしば言及されている。人の夢を破壊するヤミーや劇場版において世界全部を覆い尽くす/ひっくり返す程の大きな欲望を隠していることは明らかになったが、しかしそれは劇場版において「大きすぎる欲望の結果、世界を元の姿に戻す」という描写がされたように「大きすぎる欲望=無欲」である。 それに加え、冬の劇場版ムービー大戦では復活した信長を通して「欲望=夢」だということが提示された。 つまり映司には「欲望が無く」したがって「夢も無い」ということだ。 では「夢」とはなんだろうか? 「今これが必要だ」というものが「欲望」であり、その今を積み重ねた先にある到達点が「夢」なのである。それはこの先で「自分はどういう存在になりたいか?」ということだ。 その欲望=夢が無いということは、「こうありたい」と望む姿に自分の存在を積み重ねられない……つまり「自分という存在」に価値を見い出せていないのである。 つまり映司にとって「自分」には価値が無く、欲望を持っている「他人」と比べた場合、常に「自分」よりも「他人」のほうが高い価値を持っているのである。 つまり映司が他人を救うことに命を賭けれる、その動機は善でも強い意志でも思想でもなく、ただ単純に『より価値あるものを優先する』という「打算」によるものなのである。 つまり映司は「不条理に立ち向かう」のでは無く、「(本人の中では)合理的な基準」によって変身しているだけなのである。 その合理的な基準が己に価値を認めない「滅私」であるが故に一般的な悪に対して抵抗するという「社会奉仕」として機能しているが、それは一歩間違えば人の命に値段を付けて価値が低いものをドライに切り捨ててしまう行為になりかねない。 「映司が悪を討つ」のはあくまで価値の高いものを保護した結果だけの観測であり、そこに正義は宿っていないのである。 更に言えば人に対して価値基準を設けて、その高低で「必要/不要」を分ける態度はまさに「邪悪」のそれであると言える。 『オーズ』全体に漂う煮え切らなさ爽快感の無さは、この「映司がヒーローでは無い」という部分に起因しているのである。 ・では誰が『ヒーロー』なのか 映司が「欲望」を持てない代わりに、オーズには欲望の塊である『グリード』がいる。 グリードは利己的な理由ではあるものの彼等は欲望の内容に貴賎を付けず、全てを等価に扱う。 それは欲望の肯定であり、上で述べた様に欲望=夢=存在意義とするなら人間全体をセルメダルを回収するのに必要なものとして全て一様の価値を認めているのである。 それは私達が金属のゲージに並べられ卵を産む大量の鶏一羽一羽に対して感情を持たず、だが無意味だとも思わないようなものである。 しかしながらグリードの欲望は永遠に満たされる事が無く、また自分達が命を持たないことから「他の命」を軽視している。 そのためグリードも映司とはまた別の「邪悪」でしかない。 だが唯一アンクだけは「欲しいものは、こんな偽物じゃない本当の『命』だ」という、新しい欲望を手に入れ、実現可能かどうかは別として他のグリードが持たない「欲望のゴール」を手にしたのである。 さてここで一番欲しいものに「自分の命」を上げ、そして他の人間の欲望を同じレベルで肯定できるアンク。彼が「自分の命も他人の命も『同じ命』だ」という事に思い至りさえすれば、アンクこそが『ヒーロー』となることが出来るのである。 それが表れているのが46話にあった砂浜での、映司とアンクの殴り合いシーンである。 アンクと同じように片腕だけグリードになった映司は、既に『ヒーロー』ではない(しかもその後、全身グリード化してしまうし)。そして自分の欲しいものが「命」だと叫ぶアンク。 この格闘シーンで二人の位置関係は概ね「画面左映二:画面右アンク」となっている。 これは舞台で言うところの上手(主役側)にアンク、下手(敵側)に映司が配置されている、と見る事ができる。 しかもそのシーンの間、『オーズドライバー』とアンクが一緒に画面に描かれるシーンでは、常にアンク側に置かれている。作品上「正義の象徴」である変身ベルトは「アンク側」として扱われているのである。 つまり46話をもって、この作品で真の『ヒーロー』は「アンク」であることが決定されたのである。 ・二人が『人間』になる物語 映司は人間では無い、なぜなら彼は欲望を失った抜け殻だからだ。 アンクは人間では無い、なぜなら彼は欲望だけで体を持たないからだ。 オーズはこの二人が欲望を/体を、取り戻す/手に入れる物語である。 それは前作『W』で翔太郎とフィリップがお互いが成長することで相棒になったのとは逆に、お互いの欠損を補完しあっていた二人が成長することで離れても問題の無い関係になるという話になっているのである。 もう数日で放送されるオーズ最終話で、彼等の欲望がどういった結末を迎えるのか非常に楽しみである。
by SpankPunk
| 2011-08-23 17:28
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