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・『陸上防衛隊まおちゃん』が避けたもの 『陸上防衛隊まおちゃん』は言ってしまえば「行き過ぎたマクロス」であった。 つまり「かわいいロリとかっこいい機械があればそれでいいじゃん」という思い切りの良さを更に突き詰めた作品なのである。 そしてそこで出てくる「かっこいい機械」というのが、当時バリバリに自衛隊で現行/導入予定の兵器群であり・・・つまり現在進行形で「兵器として使われている」であるものの、それらの「兵器」は作中で基本的に戦闘を行わない。 何故なら『陸上防衛隊まおちゃん』が描きたいものは、とことん「かわいいロリとかっこいい機械」であり、故に「兵器」が「兵器」としての意味を持つ「戦争」を行うことは、この作品にとって「かわいいロリとかっこいい機械があればそれでいい」という想いに対して余計な意味を与えてしまう「邪魔な異物」というノイズでしかない。 つまりこの作品において本来「戦争」を行う「兵器」から、それを抜き取る・・・という異常な処理がなされている。 それが『陸上防衛隊まおちゃん』で行われたことなのである。 ・『DOG DAYS』が避けられなかったもの 一方で『DOG DAYS』は(まおちゃんと対比するなら)「かわいい女の子とかっこいいアクション」を見せることが目的の作品である。 しかしながら「そこにあればいい」という「かっこいい機械」を魅せる『まおちゃん』と異なり、「かっこいいアクション」には「アクション」を起こすための理由が必要なのである。 しかしながら、そこで明確に人が死んでいく「現実の戦闘」を使ってしまっては、折角の「かわいい女の子とかっこいいアクション」が別の意味を持ち始めててしまうのである。 そこで『DOG DAYS』において、その「現実の戦闘」を回避するために『異世界』で『スポーツライクな』戦争を起こせばいい、という結論からああいった「偽物の戦争」が行われているのである。 ところがここで、一つ問題が生まれてしまう。 『スポーツライクな』=『人の死なない』戦争には「戦う動機」が圧倒的に欠けているのである。 その戦争には憎しみも怨みも無ければ、戦争の結果人が減り土地が余るわけでもないために領地の拡大も難しい・・・そこで、その「戦争」を継続する理由を強化する必要がある。 そこで取られた手段として、国民がショーを見るように戦争を観戦する事を「受け入れており」かつ、戦争で活躍することによる報酬とそこで必要な諸々の物資を消費する事による「経済的にプラスになっている」という設定を作った。 この『戦争を描かない』為に作り上げた設定によって、むしろ『DOG DAYS』は近代資本主義国家が経済上避けることの出来ない大きな問題点として「資本主義国家は『戦争をしなくては』国が成り行かなくなる」という構造を、どうしようもなく・・・そして非常に強く肯定してしまっているのである。 ・『まおちゃん』から『犬日』へ 『まおちゃん』が徹底して「戦争」という毒を隠し、ただひたすら「かわいいロリとかっこいい機械」を描いた結果それは見るからに「狂った」作品となってしまった(富野由悠季監督に名指しで「エンターテイメントと考えても狂が感じられます。」と言われた事は、この作品にとって褒め言葉なのかもしれません)。 そして同じような理屈で作ったものの、その「見せたいもの」の差からくる設定によって「戦争」という舞台を使わざる得なかった『犬日』は、「戦争」を道具として扱って「しまった」事で、より強烈な「狂った」現実を露呈させてしまったのである。 『陸上防衛隊まおちゃん』の放送は2002年、そして『DOG DAYS』は今年2011年である。 放送時期と『まおちゃん』原作の赤松健氏の発言(放送当時の日記にある「私は思想家ではありません。ネタです」をそのまま信頼するのなら)から、01年の9.11テロは『まおちゃん』に直接の影響を与えてはいないであろう。 しかし9年間の間に各国ではテロが起き、アフガニスタンでの紛争は未だに解決には至っていない。 その中で安全圏にいると思っている我々にとっては(すでに震災でその安全圏神話すら崩壊してしまったが)、そうやって『外で起こっている悲劇』をそのまま受け入れるということは、個人のキャパシティを超えてしまっている。 故に『DOG DAYS』は「戦争」を毒抜きすることによって『引き受けなければならない悲劇』の容量を減らしているののであろう。 しかし、それが悲劇そのもの原因である『資本主義国家の問題点』を炙り出してしまった事は、結局私たちは『人の業』から逃れられないという事の証明なのかもしれない。
by SpankPunk
| 2011-06-07 10:24
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