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天装戦隊ゴセイジャー」の最終話においてアラタの言った「俺たちは未熟だったからこそ、護星の力を与えられたんだ」というセリフから、ゴセイジャーは「未熟だったアラタ達が『成長する』物語であったことが良く解る。 それはアラタ達の成長段階に応じて戦う相手が変わっていく事や、最後の敵が「堕ちた護星天使」である事によって非常に丁寧に描かれている。 またアラタ役の「役者自身の成長」もそこにガッチリと組合わさった為、とても感動的な物語であった。 そして護星天使であるアラタ達は成長の結果、護星界に戻る事を許されたが彼等はそれを断り地上に留まる事を選んだ。 これは『与えられた使命』であった「護星」・・・つまり彼等の直接意志では無い活動動機によって星を護っていた事(これがゴセイジャーがしばしば批判される、物語上の問題であった)から、自分達の意志によって行動するという『自発的な正義』を手に入れるまでに成長した、ということである。 これはラストシーンにおいて今まで暮らしていた家から出て、更に「5人」という単位から離れる事・・・つまりは『自立』をする、という成長を見せているのである。 もっとも「いい年こいたアラタ達が今更自立かよ」という部分は少々問題だが・・・しかし、この番組がメッセージを届けたい相手は「大人」ではない。 未熟であるからこそ、戦うことが出来る。その先には次々と「また別の障害」が現れるが、それを越えた先に成長と自立がある。そして「自分の居場所を自分で選択できる」様になるのである。 さて、それではその「成長」の先には何があるのだろうか? ここで再びアラタのセリフに戻る。 「未熟だからこそ、護星の力を与えられた」・・・つまり戦う力と使命は、誰かから『引き継がれた』ものである。未熟だからこそ、その果てしない成長を期待され「既に成長したもの」から『引き継がれた』力なのだ。 つまり「成長」の先には、その力の「継承」が待っているのだ。 そして「海賊戦隊ゴーカイジャー」は、まさしくその『引き継がれる力』の物語なのである。 まず「レンジャーキー」自体が、過去の戦隊が持つ力を引き継いだものであり、世界設定も「レンジャー大戦によって歴代の34戦隊が力を失った」という歴史を引き継いでいる。 またマーベラス個人においても、戦う力の源である「レンジャーキーをアカレッドから」引き継いでいるのである。 しかし引き継いだのはゴセイジャーも同じであり、それだけでは「繋がっている」とは言えない。 ゴーカイジャーにおいてマーベラス達は高額(一部除く)の懸賞金が掛かった「有名な海賊」であり、既に「未熟である」とは言えないキャラクターである。 その為に彼等は・・・特にレンジャーキーを「引き継いだ」マーベラスは、自分達の力を「次に引き継がせる」必要がある(あるいは可能性がある)事を理解しているのである。 それが第二話において、少年にシンケンジャーのキーを貸したマーベラスのセリフに表れている。 「もしお前がアイツらを倒せたら、そのキーはくれてやる。」 もちろん、そんな事が出来るとはマーベラス自身思ってはいない=本当に譲るつもりは無い・・・が、その気持ちに嘘は無い。 戦う意志と必要最低限の力を持つ者が現れた時、その力を『引き継がせなければならない』事をマーベラスは理解しているのである。 少年の「戦う意志」をマーベラスは認めた。だから無茶とは解っていても、少年にキーを貸し戦わせたのだ。 そして一方で、マーベラスも少年から「引き継いだ」。 それがこの会話である。 「この星に守る価値はあるのか?」 「ある」 「それはどこにだ?」 「『どこにでも』だ!海賊なら自分で見つけろ!」 ここでマーベラスが引き継いだのは「守る価値」では無い。 少年が、自分が傷つく事もいとわず守ろうとした「戦う意志」を引き継いだのである。 だからこそ全員がアカになった時、マーベラスは『シンケンレッド』になったのである。 ゴセイジャーにおいて「成長すること」を達成した今、ゴーカイジャーはその成長を「伝えていくこと」を描こうとしている。 故に私は、この二つの物語は「繋がる物語」だと思うのである。 ・脱線 「ジョジョの奇妙な冒険」においても、この「引き継がれる/受け継がれること」というのは、かなり重要なテーマとなっている。 その中で「引き継ぐ気が無い者」―SEX必要無し!のカーズ、娘殺しのボス等々―が悪として描かれる事が多いなぁ・・・とこの記事を書きながら、なんとなく思いました。
by SpankPunk
| 2011-02-21 23:02
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