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朝は7時半に起きる。これは以前から変わらない習慣である。 ツイッターをざっと見て、毎日回ってるWebマンガサイトを巡っているうちに8時になる。 適当に「1度見たけど、何となく見返したいアニメ」をプライムビデオで流しながら(ちなみに今は『みつどもえ』を見ている)、リハビリのストレッチと筋トレをする。日曜日はお休み、ニチアサがあるので。 8時半になったら『伊集院光とらじおと』を聴きながら30分のウォーキングをする。足のリハビリも進んでいるのでもう少し時間を伸ばすか悩む。 帰ってきたらシャワー浴びて朝食。病気の関係で塩分量を6g/日に抑えたい。最近は大豆グラノーラ+ドライフルーツで済ませている。楽だし。 月曜日は映画を見に行く。それ以外は10時から喋るリハビリという名目でゲーム実況配信をする。「リハビリですから~」という言い訳でゲーム欲と自己顕示欲を満たせる。 お昼までだらだらする。買い物とか掃除洗濯、その他の日常必要な雑事はだいたいこの間に終わらせる。 お昼ごはんは雑でいい。最近は缶詰が自分に合っている。塩分量を1食平均2gで考えると、缶詰類はだいたい一缶そのぐらいのものが多い。それと適当な野菜をレモンとオリーブオイルとかで食べれば十分だ。 指を使うリハビリも兼ねて、できるだけ箸で食べることにしている。 お昼を食べたら文章を書く。 とはいってもどこに出すつもりもない、自分しか見ないものだ。倒れた当初の言葉がわからない、という感覚は今思い出しても怖い。その不安を忘れるには書くのが一番だ。 余裕があるので、小説を書いてみたりなどする。全然書けている気がしない。どうせ自分しか読まないので、読み返しては「ヘッタクソだなオイ!」などとゲラゲラ笑っている。誰にも見せないというのは存外楽しいものであるし、何かを書いてるときが一番「次に書きたいこと」を思いつきやすい。 大体18時前ごろまで何かを書いている。正確には書いたり寝たりだらだらしたりしている。 18時前で切り上げるのは、ほぼ毎日動画を挙げる好きなゲーム実況者のアップがそのぐらいの時間だからだ。そういう指標があると生活が管理しやすくて良い。 18時半ごろから再びストレッチ、筋トレ、ウォーキング、お風呂、ごはんというルーチンを繰り返す。朝がシリアルなので塩分量に余裕がある。大抵のものは問題なく食べれるし、正直自分で調理すると「塩分量2gとか、味濃すぎる!」という感じになるので、おおむね大丈夫だ。 むしろ塩を削るのが楽しくなってしまって、一日合計2g以下とかで過ごしていたら、食事には不満が無いが、低血圧かなんかで尋常じゃない眩暈に襲われるようになってしまったため、今では塩分コントロールはむしろ「ちゃんと摂取する」方向になってきているぐらいだ。 そのあとは録画や配信サービスでアニメを見たり、本を読んだりして過ごす。 23時からはまた夜のゲーム実況配信をする。月曜だけはツイキャスになる。どちらも大変楽しい。 それが終わったら再びだらだらしながら。日付が変わるころか1時前には寝る。寝つきは良いほうなので、そこに苦労がないのは助かっている。快食快眠快便が備わった自分のボディはなかなか素晴らしいと自画自賛をする。 正直言って、ありえないぐらい満ち足りた日々を送っている。 金さえあるなら一生この生活を続けていきたい。だが金がないのでそろそろ病気を理由に休み続けるのも限界である。 毎日がめちゃくちゃ楽しい。仕事が再開すると思うと憂鬱である。というか働いていたころ、いったいどうやって幸福を感じていたのか思い出せないくらいだ。 それでも金が無いので働かねばならぬ。きっと今の生活を将来、まるで夢のように思い出すこととなるだろう。その為に、いまここでこの日々をここに記す。 以上、もうすぐ終わる満ち足りて幸せな私から、すがるように思い出を反芻する私へ。
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by SpankPunk
| 2018-09-04 20:47
| バカ
最初っから最後まで自分の話になりますからね? いいですか? 今まで色んな、いわゆる「批評系」同人誌に寄稿してきた。 アニプレッション、セカンドアフター、ポストモダンのポリアネス、トミノギスタ、余白のR、PRANK!、アニバタ、ビンダー、アニメクリティーク。(他にも参加した同人誌はあるが、とりあえず批評系だけ) それぞれに、というか原稿ひとつひとつに思い入れがある。たぶんその時した代表や編集との会話まで思い出せるくらいに。なぜなら私は執念深いんだ。 だからどれが思いで深いとか思い入れがある、とかはあんまり無くて、というか私は自分が書いたものを片っ端から忘れていくので(これは矛盾ではない。書いた内容の記憶と、書いたという出来事に対する思い出が独立してるだけだ)基本的に「直近で書き終わったものにしか思い入れがない」ような状態だし、それが頒布される頃にはテキストの内容自体は他人が書いたも同然だ。 だから単純に参加した回数がそのまま「思い出す」誌名になるし、ごくごく当然の話として刊行数が多いものがそれにあたる。つまり一番覚えてるのは、通し番号のなかった実質Vol.2となる『青い花』本から最新のVol.18『バンドリ&岡田麿里』までの間で、12冊15本の原稿を書いた(Vol.2.3.5.6.9.9.11.11.12.14.15.16.17.18.18)『アニバタ』である。 ていうかね、こんな冊数自慢めいた恥ずかしいもんを書き出したのは、その『アニバタ』が休刊するからだよ!ファック!なんかちゃんと書くの面倒くさくなってきたわ! あと『PRANK!』も一度お休みとか言ってんじゃん!PRANKもVol.1~Vol.6全部に載ってっからね!?皆勤賞でしょ!ラジオ体操ならよくわかんねーしょぼい鉛筆とか貰えるやつですよ!?あっれぇ大したこと無く聞こえるぞ!? つーか書くところが『アニクリ』と『ビンダー』しか残ってねーじゃん!オイコラ私が死神かサークルクラッシャーみてぇじゃねーか、姫扱いで甘い汁吸ってたのならまだしもそういった恩恵無しにサークラ疑惑だけ引っ被るってどういうことだよ……。 まぁ真面目に言うと、そう何号も何号も続く同人誌なんてかなり稀だし、そういった中じゃ『PRANK!』がVol.6まであるのは凄いことだし(これは遠まわしに「その全部にいる人も凄いのでは……?」というのを誘導してますよ!)、小数点1以下で号数刻んでて(《5.5》とか《1.5》とか)普通に数えたら10越えてるじゃん……みたいな『アニクリ』とか、『ビンダー』ももうすぐ6号でるじゃん?スゲー、みんなスゲー超スゲー!『アニバタ』のVol.18って数字は流石に引く。 こっから「どうせ引く数字までいってんだからもっと行けよ!主に居場所が無くなる私のために!」って話にもってくのは簡単なんだけどねぇ……。 始めるっていうのは、止める自由がセットであるべきだと思うんですよ。何にせよ始めることって大変で、大変な割には別になんかスゲー良いことがあるわけでもなし、それなのに続ければ続けるほど何か責任的なものが発生したり、いつの間にか当初の目的を見失ったりで、超厄介なわけで。だから絶対に「自由にやめていい」っていうね(ここで「もう、ゴールしてもいいよね」というトラディショナルでお約束でしかたがないがいくらか黴臭い、よっ!ゼロ年代!かーぎやー!的なやつを入れようか10分くらい悩んだ)そういう権利を有してるべきなんですよ。 毎週ほぼ欠かさず細々と音声配信やってるうちに気づいたら6年も続けてて「辞めるタイミングが無い……むしろ病気で休んでる間は配信できてない!という謎の義務感にうなされる(これはマジで入院中、毎週月曜の配信時間にうなされて起きた)」みたいなことになる前に、絶対ストップかけるべきなんですよ! だからね、『アニバタ』は休刊です。って代表のたつざわさんが決めたんなら、それは良いと思うんですよ。少し寂しいけど、じゃなくて私の書く場所が減るから嫌だけど。『PRANK!』は復活するつもりなんでしょ?じゃあ同人批評界のキリストを目指して3日後な。 なんで私が『アニバタ』に割りとこう積極的にコミットしてかって言うとね、たつざわさんに「書かねぇと風呂に沈めんぞオラァ!」って脅されてたのと、ゼロ年代批評ってブームがあった中で色んな人が色んなことを好き勝手に書いてた時代があって(あれはやっぱり「そういう時代」として過ぎ去ったものですよ、もう2018年だし)、私はその中で、こう、なんというか「理屈っぽい理屈じゃない文章」が好きなんです。 自分の中のパッションやら情熱やら情念やら執念怨念億光年が、どうしようもなく滾ってしまいそれを噴出させたい!出来れば誰かに伝えたい!もっと言うなら感染させたい!っていう欲望が「この熱が他人に伝わるよう論理だてて」書かれながら、同時に「理屈を失ってしまうパッションによる飛躍」がある。そういう文書が大好きなのです。 虚構ってものを信じていて、虚構の持つパワーだけが世界を救うと思っています。だからその虚構に突き動かされて、胸の熱に浮かされて吐き出された叫び、みたいなものを見ると、泣くぐらい感動してしまうんです。 虚構ってスゲー!ひとりの人間をここまで突き動かすなんてスゲー!そんなものを作れる人間って生き物スゲー!その突き動かされた衝動を伝えずに居られない精神の輝きヤベー!そこから伝播して広がっていく虚構パネェ!!みたいな感じで。 熱だけでも理屈だけでもダメで、情念と論理が、パッションとロジックがせめぎ合うその衝突点が見たい!んー!んー!んー!エビバディパッション! ワケわかんないついでに言うと、何年か前から私は「批評ってのはプリズムショーなんだよ!」って主張してて。そうあの『プリティーリズム』シリーズとか『プリパラ』とかのあれね、あの「プリズムショー」。 プリズムショーって最後にフィニッシュとしてプリズムジャンプっていうすげージャンプをするんでしょ。空中からフルーツを生成したり、虹色の羽根生やして地球ごとハグしたり、人々の未来に希望を与えたり、人工生命に魂を与えたり。そのプリズムジャンプは精神の成長や、進化によって生まれる……作中でも「プリズムジャンプは心の飛躍!」と言われている。でもいきなりプリズムジャンを跳ぶわけじゃあなくて、ちゃんとした曲があって、ステージ衣装もあつらえて、レベルの高いダンスを魅せて。 で、そのちゃんとした素晴らしいステージがあるからこそ、人智を超えたプリズムジャンプが輝くんですよ! 私にとって批評とはそういうもので、歌やコーデやダンスのような「この熱が他人に伝わるよう論理だてて」書かれもので引き寄せながら、フィニッシュにはプリズムジャンプというに「理屈を失ってしまうパッションによる飛躍」が必要なのです!心躍るよ、おにゃんこポン! でね、たぶん私が知ってる批評系誌でそういったものを受け入れる、掲載される枠が一番あるのって『アニバタ』なんですよ。 はてなでも何でもいいけどWebで読めるものだと情念先走りオーバーランすぎるのが多いし、他の批評系同人誌だともちろん私が求めるものがあるテキストもあるけど(これは本当に、だってまず第一に私がいるからなぁ!フゥーハハハハァ!)基本「ちゃんとしてる」。「ちゃんとしてる」から当然素晴らしいだけど「お前の壊れるところが見てぇ、見てぇよぉぉぉおおお!」みたいな、「無茶苦茶を書いてくれ」っていう有り得ないオーダーをしてるっていうね。 特にいままで批評っぽいものを書いたことが無い人の魅せるパッション。そういったものを拾い上げて裾野を広げる『アニバタ』って位置は、割りと独特で(私の好みとして)得難いものなんです。特に何号か前からのワタシ・チャンさんが校正するようになってからは、ロジック部分に凄みが生まれつつ、(チャンさんがあまり触れられない)パッション部分がちゃんと残るっていう、あつあつパンケーキにアイス的な、生ハムメロンめいた味が出てきてマジ良かった。 ということをね、ここ数日思っていたわけです。 現在進行形の『アニクリ』とか『ビンダー』に関しては、またどっかでこういうこと書くことあるだろうし、『PRANK!』は復活したときにたぶん何かやる。 結局ね、何が言いたいかというと 批評系同人誌をやられてる方!私に書かせてみませんか! 最大の利点は「めちゃくちゃ締め切りを守る」ことです。大体1週間以上は前倒しで初稿出しますよ!どうですか!!
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by SpankPunk
| 2018-08-16 17:00
| 雑記
新刊1冊+特殊な頒布1冊+コミケ初頒布3冊です。 『アニメクリティークvol.9.5 リズと青い鳥 特集号』 3日目 東 ナ-35a「アニメクリティーク刊行会」 『girls, dance, curtain call —切り離され、繋げられる観客について』 『Nowhere and Everywhere at the Same Time No.2』というアート作品がとても好きです。 幾つもの振り子が揺れる中を、振り子に触れないように歩いて通過するっていうこの作品。本来ダンサーではない人物がその中を通過することで、振り子に合わせて立ち止まり、体を捻り、少し跳んだり、前後にタイミングを取ったりして……その姿はまるで彼らが何らかの振り付けに従って踊っているように見える、っていう。 歩いてる人たちは至って真面目で、それを「見る」私たちの眼がそれを「ダンス」に変えているのです。 虚構を覗き込むとき、私たちの眼はそこにいる非実在の人々の何でもない挙動を、勝手に「ダンス」にしてしまっているのかもしれません。 夢中でその中を覗きこんでいる間、一体何から切断(disjoint)され、終わった瞬間何と接続(joint)させられているのかでしょうか? 『アニバタVol.18 [特集]岡田麿里(BanG Dream!と合併)』 こちらなのですが、「たつざわさんのバンドリ原稿のコピー本+おまけとして後日Vol.18がダウンロード可能となるダウンロードキー」という形で頒布されるそうです。 2日目 東 G-37a「M.O.M.発行準備組合」 3日目 東 ナ-35b「アニメ・マンガ評論刊行会」 『歌えない私/歌えるあなた、飛べない私/飛べるあなた――あるいは置き去りにされた身体について』(バンドリ論) オーデションで不合格になることで描かれた「失敗すること/失敗すらできないこと」という部分から、「虚構における身体」について考察しています。 また『バンドリ』のストーリー原案である中村航の小説を、2017年に実写化した映画『トリガール』に現れる「失敗できること」という構造から、むしろ「失敗できる虚構の身体」の優位性を述べました。 『トリガール』超面白いので、まずはそれを観ろ! 『そのキズに触れるための、虚構の手について』(キズナイーバー論) 震災によって生まれてしまった「断絶」から、私たちは他者との関わりにどう想像力を持って立ち向かうべきか?という問いを、『キズナイーバー』から読み取っていきます。 そこから2018年現在の在り方として『ゆるキャン△』で描かれた「適切な距離感」についての考察をしています。 以下今年の文フリで頒布されて、コミケでは初のものです。 『アニメクリティークVol.8 終わりを「旅」する少女』 http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2018/02/22/234113 「たったひとつの冴えた、あるいは『宇宙よりも遠い場所』でいっぱいの旅」 これまで『アニメクリティーク』誌上で書いてきた「虚構的身体」について、自身におこった右半身麻痺とそれの治療過程で行ったリハビリの体験を元に、「動かなくなった自分の体」が「実在的身体」を再獲得する中での動きから考察しました。 またそのリハビリで起きる「失敗」と「個人的な到達点」を「旅路」と捉えることで見えてくる、『宇宙よりも遠い場所』で描かれた彼女たちの「同じだけど違う」「違うけど同じ」それぞれの「旅路」について思考しています。 批評するなかで時として見失いがちな「足場」を、動かなくなった足で踏みしめながら書けた本論は、間違いなくいままで書いた中でも一番読んで頂きたいものになっています。 よろしくお願いします! 『アニメクリティークVol.7.5 宝石の国+』 「切り分ける(カッティング)肉/編集される(カッティング)生/磨かれる(カッティング)宝石」 本来、傷つけば傷つくほどそこにある「身体性」が強調されていくのが、虚構のキャラクターたちである。 しかし『宝石の国』で描かれる「傷口」は、美しい輝石の断面が覗くばかりで、傷に伴う血や痛みを持たない。ゆえに宝石たちは傷つくほどむしろその体が「虚構の身体」であることを、露わにしてしまう。 その中でフォスフォフィライトが「手に入れざる得なかった」身体と、それがもたらす意味についての考察を行っておりあmす。 『PRANK! Vol.6 特集:日本アニメの新世紀』 「ぼくらに星はみえるのか」 「1917年に始まった日本アニメの系譜を「これまで」「いま」「これから」の3つの視点で考える」というテーマの中で批評としてはどうしても「すでに作られた」ものから考えていかなければなりません。 2015年のドラマ『徒歩7分』の中にこういったセリフがありました。 ”私たちが見てる未来は過去で出来てて、それってきっと偽物の未来なんだよ。なんていうか私たちの未来って過去の予想からできてるわけで、それってなんか未来じゃないんだよ。未来は未来で出来てるんだよ、きっと……なに言ってんだか自分でもわかんないんだけど!” もちろんプリキュアが言うように「未来はimaging!現在(いま)の続き」(ガンバランスdeダンス)であり、未来は現在/過去の延長線にしかありません。それでも、それでもまっさらでどこからも繋がっていない、しがらみのない「未来」が私たちには必要だとも思うのです。 というようなことを(不真面目に)書きました。 ある種『PRANK! Vol.6』自体への批判とも読める本稿を忍び込まることを許可してもらって、編集の方々の懐の広さに感服するばかりであります。 ただあくまでも「真っ当な」ものでは無いので、パワーのある原稿が多い中で、肩の力を抜いて読める【癒し枠】として受け取って頂ければ嬉しいです。 よろしくお願いします。 #
by SpankPunk
| 2018-08-09 17:12
| 告知
バイクを買います!というか買いました! 購入したのはnavi110というホンダはホンダでも、国内では製造販売されていないインド原産の(原産って表現でいいのか?)バイクです! 前回のブログで書いたように、ライディングと体の問題を考慮した上で、これになりました。以下理由。 ・AT車なので制動に対する不安が軽減される。 一般的なバイクは右手でフロントブレーキとアクセル、右足でリアブレーキ、左手クラッチ左足ギアペダルという構造になっていますが、スクーターなどのAT車では右手フロントブレーキ左手リアブレーキといった配置になっています。 そのため右手右足に若干の不安があるなかで「左でブレーキ操作ができる」というのは大きな利点です。 ・ニーグリップができる。 タンクを膝でしっかり挟み込む(ニーグリップ)ことでバイクは安定しやすくなります。スクーターはそれが出来ないため、バランスが取りにくい(タイヤの大きさの問題もありますが)と言われています。 navi110はAT車でありながらニーグリップができる構造なので、操作がしやすのではと考えます。 ・車体重量が軽い。 約110Kgと、前の講習で乗ったCB400SF(190Kg)や愛車であったSR400(160kg)よりもかなり軽量で、車体を支えるのに必要なパワーが少なくて済みます。 ・50ccを越える排気量、250ccほどは無いパワー。 まず道交法として50cc以下の車体は「制限速度30km/h」です、ところが51ccを越えると一気に普通の車・バイクと同じ速度制限になります。50ccには利点も多いですが、ずっと400に乗っていた身としては「制限速度30km/h」を守れる自信が無いので……。 パワーが無いということは、アクセルワークが多少うまくいかなくっても暴走しにくい、ような気がします。125cc未満なので高速道路などは走行不可ですが、そんな遠出をすることも無いでしょう。なのでこのくらいの排気量がベストだと判断しました。 ・安い!! 本体価格が新車で10万円を切ってたりします(オプションなどによって上下あり)。新車でですよ!?110ccでですよ!? 果たして本当に自分がバイクに乗れるのか、正直いって非常に不安です。それにもしもちゃんと乗れるのなら、再びSRに跨りたいのです。 そういった部分で無駄になるかもしれないし、一時的に乗るだけかもしれない。そこにかけれるお金として、安いのは大いに魅了です。 バイクに乗るというのは、端的に致死率が上がります。ましてや今の体の状態からすれば、病気以前よりも跳ね上がっているでしょう。 生き延びた幸運をふいにしようとしてるのかもしれません。 それでもやっぱりバイクに乗りたいんです。バイクに乗ってようやく私は「私」になるんです。 納車は8月2日です。 いきなりパタッと更新やツイートが止むかもしれません。 でもたぶん大丈夫。だってバイクだから、そして私はバカだから。 「バイクはバカにしか乗れん!」なら「バカだからバイクに乗れる~♪」と生命の賛歌を叫んでやりますよ!!
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by SpankPunk
| 2018-07-31 16:53
| バカ
脳出血になりまして(この始まり方、何度目だ)、高次機能というか認識能力や記憶能力には問題が無かったのですが、右半身に麻痺が残りました。 リハビリのおかげで日常生活はそこそこ問題なく過ごせるようになったのですが、そうなるとやっぱ欲が出てきます。 「私はまたバイクに乗れるんだろうか?」 18歳でバイクの免許を取って以来、18年間ほぼ毎日バイクに乗っていて、物心ついてからならとっくに「バイクなしで生きた年数<バイクありで生きた年数」になっていて、自分にとっては「外に出ること=バイクに乗ること」という認識になってます。 運よく麻痺があるとはいえ、車椅子や杖などに頼らない歩行ができるほどには回復しましたが、自分の心情としてはどうしても「バイクに乗れなきゃ”外に出る”とは言えないんだ!」という気持ちが(我儘だし、贅沢だろうけど)あります。 なのでリハビリの最終段階で、ドクターに「二輪車に乗ることはできるのか?」と相談しました、すると ドクター「正直わからない」 そりゃまーそうだ。 麻痺があるなかで「自動車の運転がしたい」という患者さんは多く、そのためのノウハウも手段も多い。一方で「おら、麻痺あっけどバイク乗りてぇだ!」という人は少ない。ドクターにとっても初めてケースだそうで、適当なことも言えないので公安委員会で相談してほしい、とのことでした。 まぁ仕方ないというか理解できる話です。現代日本での「バイクという乗り物」の位置づけを考えれば、希望する人の少なさゆえそう言うしか無いのは当然だと思います(ライダーの増加とバイクの地位向上は願ってやみません)。 ということで、公安委員会に向かい免許の相談をしたところ 「はい、手をぐーぱーぐーぱー」 「腕あげてー、回してー」 「屈伸してくださーい、いちにーいちにー」 「握力測りますー、どーぞー」 「はーい、OKでーす。気を付けて運転してくださいねー^^」 ……マジですか?これで終わりですか?ものの5分で?バイク運転する許可がでるの? ちょっと流石にこれで路上に出るのは無謀すぎます。脳出血から生還して、すぐさまバイク事故でいきなりハンバーグになるのは笑い話にもならないです。 ということで、二輪車のペーパードライバー講習をやっているとこを探して、路上に出る前に一度バイクを運転する決意をしました。 ……とはいえ、この時点では「まぁやんなくても大丈夫だろうけど、時間もあるし、5000円ぐらいで安心できるなら無駄っぽいけどやっとくか~」ぐらいの気持ちでした。どちらかと言えば久々にバイクに触れることに対するワクワクの方が強かったです。 だって18年ですよ!?18年。 私とバイクの間の18年間の【絆】とはつまり SI俺達はいつでも2人で1つだった地元じゃ負け知らずそうだろ Would you call me. if you need my love? どこにいたって聞こえる 君がくれる Agape 力のかぎり Dive! 的な関係なワケですよ! 全然ヨユーのよっちゃんです!「うん、そうだねすぱちゃん!」ほらちゃんとバイクの声も聞こえてますし! そう思って向かったペーパードライバー講習。 ほうほうバイクはCB400SF。いわゆるスーフォア。イメージとしては「The教習車」。実際、高い完成度でバランスの取れた性能を持つ、練習にも最適ながら様々な要求にも応える素晴らい機体。『ばくおん!』なら主人公・佐倉羽音の愛機。 教習所以来、初めて触れるHONDA車に浮気めいた背徳感込みでドキドキする。 「ではまずは取り回しから」 バイクの左に立ち、サイドスタンドを外すために軽くバイクを起こす…… (え?重っ!?) 私の知ってるバイクの重さじゃない。もともとバイクを押して歩くのはすっごいヘタクソなんですが、そういう問題じゃない重さ。 と、いうのもバイクは直立させれば過重は地面に垂直にかかるハズなので、理論上「押してる間に重さを感じる」ことは無い(理論上ね)。とうことはバイクが斜めになっている。 麻痺が残っている右腕が、バイクを丁度良い位置にコントロールできず、右側に倒れたら力が入らずに倒すので、自分の体に重さがかかる左側に斜めにして支えることしかできない! この時点で少し悪い予感が走り、色んな言い訳が脳に浮かんできます。 免許取ってから乗ってるのが、ずーーーーっとSR400というバイクで CB400SFと比べ ・そもそも車体重量が違う(CB197Kg SR168Kg) ・SRはトルクが良いとは言うが、それは「単気筒にしては」という注釈付き ・そもそも四気筒と単気筒でエンジンの回転数の感覚が全然違う ・当然、馬力も全然違う と、全然趣の異なるバイクなんです。 例えるなら「SRがバットマンならCBはアイアンマン」ぐらい違う。 跨った印象も ・タンク太ッ ・やっぱ重い…… ・エンジン音が全然違う!振動もほとんどない!ちょっと開いたら回転数がギュン!て上がる!わからない! という慣れ親しんだ青春アミーゴであるSRと違い過ぎて、というか私の体がSRのAgapeしか受け入れられなくて……これ無理なのでは……。 とバイクのせいにする言い訳が次々出てくるところが、もう完全にダメって感じ。 実際乗って見ると ・右手の麻痺で非常に大雑把なアクセルワークしかできない。 ・かつ指先の感覚が鈍いためブレーキングも荒い。 ・右足のつま先~足の裏の感覚があまり無いため、足がブレーキパットに乗ってるかわからない。 ・ただ足首の感覚でリアブレーキ自体は的確にかけれる。 ・左側のほうが体が動きやすいせいか、どんどん左に寄っていく。 ・左腕で体を支えがちになるので、左腕の疲労が強い。 ・体を右に倒すのは、上から左半身で押せるが、左に倒すには動かない右半身を引っ張らなくてはならず、結果左折時に大きくふくらむ。 ・入院とあわせて半年近くバイクに乗らない間に、ライディングに必要な筋力が猛烈に落ちている。 いや、こんなヤツ路上だしちゃダメでしょ!! とはいえバイクには絶対に乗りたい、というか乗れないなら生きていくための心が砕ける。いまもう砕けそう。 ダメだったところを解決するなら ・アクセルワークが大雑把でも御しやすい、パワーの少ないもの ・制動系が麻痺している右側に集中しない ・車体重量が軽い ・バランスがとりやすい あたりが条件……YAMAHAのメイトとか? とHONDAへの苦手意識を抱えながら、何らか方法を模索していきます。 「バイクはバカにしか乗れん」 のですから、バカでいるために精一杯の知恵と努力を惜しみませんよ。なぜならバカだから!です!
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by SpankPunk
| 2018-06-30 17:03
| バカ
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