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あと1話を残すばかりとなった『プリティーリズムレインボーライブ』であるが、大変に素晴らしい作品であった。少女達(あるいはその周囲の男子や、大人たちも含め)がそれぞれの抱えた問題に立ち向かいながら「心のきらめき」を燦然と輝かせる姿は、過去作のオーロラドリームやディアマイフューチャーと同様に大変に記憶に残るものとなった。 そんなレインボーライブの登場人物の中でも、特に「彩瀬なる」の特異性は際立っていた。しかしその立ち居地はあまりに「特異なもの」であるが故にどこか「とらえどころのない」ものの様にも見える。 それもそのハズ。なぜなら彼女の特異性はその「とらえられないもの」にあるからだ。 女王としての意志とプライドを受け入れて奮い立つ蓮城寺べるや、あるいは恋人と自分の親同士の関係に翻弄されながらも貫いた涼野いと、あるいは親子関係に問題を抱えていた森園わかな等々、レインボーライブの登場人物たちは皆、何らかの大きな問題を抱え、それを乗り越えることで「プリズムの輝き」を放つ。 そしてその「心のかがやき」がそのままプリズムショーの(あるいはプリズムジャンプやプリズムライブ)の内容と結びつくことで、彼女達の抱える問題の深刻さや、それを乗り越えた強さを視覚的にも表現することができるのが『プリティーリズム』シリーズの肝とも言えるだろう。 しかし、ラインボーライブの彩瀬なるには他の登場人物ほど大きな問題や、あるいはその「心のかがやき」を語る物語が存在していない。 それでも彼女は第50話において大会のトリをつとめ、そのショーは「プリズムの輝き」が失われた世界に再び光を取り戻すこととなる。 なぜその役割を「物語を持たない」彩瀬なるが担ったのか? 第50話で世界中のプリズムショーシステムが謎の動作停止を起こし、最後まで残っていた大会会場のシステムもダウンした。 それを受けて「もうプリズムショーが出来ない」と嘆く登場人物たち。 しかし、それは本当に「もうプリズムショーができない」のか?そのシステムが使えなくなった”だけ”で彼女達の「プリズムの輝き」は失われてしまうのか? そうではない。 プリズムショーを動かすシステムは、あくまで「プリズムの輝き」を「心のかがやき」を表現するためにある補助システムだ。 しかしそのシステムに慣れきった人々にとって、それはプリズムショーに必要不可欠なものと化しているのである。 同時に登場人物たちが持つ問題やその解消といった「物語」は、プリズムショーのステージを華やかに彩る事はできても「それが無くてはショーにならない」ようなものではないのである。 もちろん今までのオーロラドリーム、ディアマイフューチャー、そしてレインボーライブ内でも前述したようにその「物語」の着地として「プリズムショーでの表現」が行われる。 それは間違いではない。 しかし「システムが無ければプリズムショーができない」という思い込みと同じように「物語がなくてはプリズムショーができない」というのも、ひとつの硬直した考えであり、それを正すことがつまり彩瀬なるを送り出すモモが言う「伝説は若者によって作りかえられるもの」という言葉に表れるのである。 そしてここでさらに重要なのは彩瀬なるは確かに「物語」を持たないが、しかし彼女の周囲にいる人物が様々な「物語」を彼女に見せていることである。 特定の「物語」……例えば蓮城寺べるの「女王としての私」だけがプリズムショーに許された「物語」であるとしたら、それは酷く息苦しい閉じた世界になってしまうであろう。 プリズムショーはあらゆる「物語」を受け入れる。だからこそここまで色鮮やかに様々な少女達の「物語」を表現することができるのである。 彩瀬なるはその様々な「物語」を受け止め、なおかつ自分だけの「物語」を持たない。 そんな彼女だからこそ、あらゆる可能性を持つ「プリズムショー」を再生させ「プリズムの輝き」を取り戻すことができたのである。 そして「プリズム」あるいは「虹の色」とは、何も無い光が屈折によって分かれることによって、様々な色彩を描き出す現象である。 「何も持たない」透明な「光」だからこそ、そこから無限の色彩を引き出すことができるのである。 つまり前述した彩瀬なるの特異性である「とらえられないもの」とは、彼女がすべての輝きの源である「透明な光」だということなのだ。 全ての色が折り重なった「何も無い色」というただただそこにある「光」であるがゆえに、彩瀬なるは世界に「プリズムの輝き」を取り戻すことができるのである。
by SpankPunk
| 2014-03-29 00:23
| アニメ
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